戸目子のブログ

大人になった娘が読むことを想定して書く、日常や過去の覚書き

K.Mさんとの往復書簡【3】子育て

 

 

戸目子はこれまで長くEメールを活用してきて、中には膨大な時間と労力をかけたものも多数ある。でも、思い返すとなぜか一度もそれらを読み直したことがない。なんかとてももったいない!

でももしそれをリアルタイムで記録したら?もしかすると未来の自分が読んだとき、そこに「作品」的な価値が生まれるかもしれない。

というようなことを、エキサイティングなK.Mさんとのやりとりの中ふと思ったのです。どうなるかは未知だけど、往復書簡という形でここに記録してみることにしました。

最初こそかしこまって質問形式で始めたものの早くも崩壊し、今や莫大なスケールと化したメールを上手くまとめることができなくなりました。

ここからは、特に残しておきたい部分を抜粋し掲載していきます。

複数の話題を同時進行でやりとりしているため、まとめると話が前後したり所々チグハグになっています。

 

黒字=K.Mさん 青字=戸目子

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・趣味の武術と書くことについて

実はわたくし2年ほど前から武術を習っておりまして。昨日もWife原稿の締め切り日だというのに稽古に行ってしまい、原稿〆切遅延・・・てなことになってしまったのですが、武術っていうのは面白いんですよ。武術ってのは自分の動きだから個人的な内面的なものなのだけど、外からの刺激(殴られるからよけなきゃいけない、という反応)と実際に身体を動かすことの間には、何層もの異なる世界があって、それぞれの世界をキチンと感じて動きを伝えるというのはとても難しいことなんです(もしかしたら楽器の演奏なんかにも通じるものがあるかも!?)。そのためには自分の把握している世界の認識の転換のようなことをやらねばならず、そのために、自分の感じたこと、武術の原理などを「言語化する」というのはとても大切だと先生が申しておりまして、納得したのです。言語にする事で他者にも見えるものになって、語り合うことで、認識のズレに気づくこともあり、自分で物事の視点を変えやすくなると思いました。実際はそこまで深めていくのは難しいんですけどね。これ、文章を書くことと同じなんですわ。書いて言語化してちがう時間軸にいる自分や他者の言葉を通してまた再認識する。書くことの醍醐味ですよ。

 

・アニメ―ションについてのこだわり

ジブリアニメをみるならば,是非「かぐや姫の物語」を見てください。私はねえ、これが日本のアニメの頂点だと思ってる。とことん二次元にこだわった傑作です(退職でヒマになってこれを見た後でWifeに原稿を書き、会社を退職して去る自分を思わずかぐや姫にたとえてしまいました!仲間から、どこが「姫」かとツッコみが入りましたが(^^))。これを見た時に、あまりの美しさに感動し、「ハハハ、勝った。やはりアニメは日本が世界一」と思ったもんです。で、そのあとにトイストーリー4を見て、CG、新しい技術で表現の幅を広げる、その前向きさに降参しました。もちろん分野が違うんだから比べるなんてできないけど、PIXARはやっぱりすごい。魅力的です。ちなみに私は、30年ほど前にトトロを最初に観た時、「ありきたりなつまらん作品だ」と思ったものです。筋書きがホームドラマではないですか。まさかあんなに評価が上がるとは!でも子供と一緒に何度も見てネコバスで遊んだので今では大好きな作品です。作品全体を覆う「やさしさ」に癒されますよね。宮崎駿で好きなのは魔女の宅急便。13歳で独り立ちするとか、泣けてくるなあ。ハウルは私は何が面白いのかわからなかった。このときは宮崎終わった、と思ったものです。でも「風立ちぬ」を見て、「じいさん、よくやった!アンタの気持ちはよくわかった」と思いました。アニメとして云々ではなく個人の表現として、誠実な作品だと思います。ああ、アニメの話は語りだすと止まりません。

  

 

・きょうだいについて

ちなみに、長女さんと次女さんの違いの分析が興味深かったんでお聞きしますが、やはり子供3人を3人とも等しく愛することは非現実的でしょうか?

次女さんが一番自分に似ていて扱いやすかったこと、に対して、反発が多かっただろう長女さんは、思い入れの部分では少し違ってきますか?

 

 

実際の愛の大きさは3人とも等しいと思うよ。大体、測れないよね。 

でも特に子どもの頃に、3人が等しく愛を受けたと感じるように育てるのは非現実的だと思います。一番上の子は親が初心者だから愛するも何も・・・可哀想な反面、子育て時の思い入れは深いでしょうね。

子供を持った時、何より失うことを怖れましたね。事故とか病気とか。その頃話題の伊藤比呂美さんの育児エッセイで、私にはあちこちに我が子の死体が見えるみたいな話があって、そのとおりだ!と思いました。恐いからいつも監視してる・・・だから保育園に通わせたことは、私が仕事をずっとしていたことは肉体的には大変だったけど、精神衛生的には良かったと思う。自分の他にこの子をちゃんと育ててくれる人がいる、生き延びる確率が上がるという安心感ですね。二番目以降は子育ての復習だから気持ちが楽で、その分思い入れがない。だから、「親子あるある」としては、上の子ばかり可愛がって、ということになるのでしょう。次女にもいつも言われてましたよ、「おねーちゃんばっかりで自分のことは大切にしてもらってない」と。で、次女は負けず嫌いで長女をライバル視して育ってましたね。でも、上の子はいつも親と一人向かい合わないといけないから大変だったと思うな。帰宅時間も、携帯電話も長女にはムチャクチャ制限つけてましたよ。窮屈だっただろうなあ。でも働いていたから目は届かずに、へんなとこは好きにさせていたなあ。・・・あああ、隠れてなら何をやってもOKってなことを教えてしまったかもしれない。万引きしたことあるって言ってたし。あとマンガは読み放題だった。・・・振り返ってみると、私の子育てなんて、全然子供に対して誠意なんてないと思うよ。大体子供に誠実に向き合えるなんて、立派な大人のすることでしょ(開き直り)。子供が小さい頃、そんな立派な大人じゃなかった。子供が育つ中でいろいろ教えてもらって少しは大人になれたような気はするけど。一番苦労してたのは3番目の男の子かなあ。家庭内では完全男女平等だった。ねーちゃんにはこき使われてたわ。その分、女を操る術は獲得したように思う。でも3人とも私なぞよりも周囲の先生や友人や、に助けられたんだと思う。

親なんて子供には関わらないほうがいい、「子育ては運次第」というのが持論。・・・誠意というよりは責任丸投げ的な。

 
 
一人目は失う恐怖がつきまとう‥
コレ、子供の年齢が上がるたびにマシになってきましたが、わたしも酷かったです。とくに娘が乳児のころは、ヨーロッパで難民が大量に出てテロも頻発し始めていて、子供の悲しいニュースが後を絶たなかったので‥ 飛行機ひとつ乗るのも生死を彷徨うイベントと化してしまった。(のわりには2歳まで十カ国くらい移動していましたが)
Irrational の塊みたいな思考に支配されていて、これは Irrational だとわかっていても全然コントロールできなかった。ホルモンもあるのかな。
 
 
K.Mさん、つまり少なくとも親側からみて、三人とも同じように愛したと思われるのですね。もうそれだけで素晴らしいなと思います。
というのも、それ(贔屓)をさも当たり前のように公言する親も依然として多いです。最初の子供は思い入れが強いから特別、というものならまだわかるんですが、こっちの子の方が断然かわいい=実際の扱いが全く違ってしまうのは仕方ないとか、男の子の方が可愛いとかを当たり前のように言う。
 
それって例えば、身体が大きかったり肌の色が違う外国人というだけで恐怖を覚えたとき、その恐怖を認識する(これは理解できます)だけでなく、その感情をさも”ふつうのこと”として公言することで、自分の抱いた負の感情を正当化した気分になるみたいな、でもやってることはただのヘイトや差別だよ、みたいなのと同じで。
 
そこは闘おうよ、と思う。大人の責任で。
少なくとも子供に悟られないように、、
 
これでは、K.Mさんの言うかつての「長男偏愛」の影が薄くなったところで結局同じではないか。社会通念が変化していってるだけで、なんらかの理由にかこつけて子供たちを差別化する。そしていつの時代でも、そういうことを平気で口にできる人、というのがあると思う。
 
個人差か/世代差か、というのは、
生まれもったものか/生後育んだものか、と一緒で検証することが難しいから、一概にこうと言えないと思うんです。
 
子育ては運次第ですよね。ホント。こうすりゃこうなる、てのがあんまないのが面白い。
 
親は子育てに関わらないほうがいい、というのは、わたし個人としては思わないですね。というのも、明らかに子育てって向き不向きがあって、やっぱ不向きな人/状況の場合は他人任せにしたほうが親も子もハッピーだと思います。でもけっこう向いてると感じる自分は、子供が求めるかぎり思いっきり関わりたいと思う。
 
ただ子育てに向いているといっても、それは「のびのびさせる」とか「安心感を与える」ことに特定的に向いていると思うのであって、日常の細かな世話は夫も色々やっているしわたしの母親業なんてノンキなもんです。
この状況だったら「子育てに向いてる」と感じる母親も激増するだろう。人間、余裕があるかないかで対処できる容量はかなり変わってきますからね。
なにより重要なのは子供が「安心」できているかどうかだと思っています。
 
 

贔屓についての話を聞いて私はビックリしましたよ!特に男の子贔屓なんてものは私らが子育てしている時分に駆逐されたものだと思ってた。あの頃、「男の子が欲しい」という親より「女の子が欲しい」という親の方が多くなった、とニュースが言っていて、そりゃそうだろうと思ったもんです。私の周りでも女の子ばかりで男の子が欲しいなんてえ人は一人もいなかった。むしろ息子ばかりの人は嘆いていて、気の毒だ、と思ったものです。これはどういうこと?バックラッシュ?

それにきょうだいを比較しちゃいけないなんてことは子育ての基本でしたよ?幼稚園の先生は、そういう話を保護者にしないの?

 

私は時代、というか、世の中が時間軸でうごいていく中で考え方とか流行とか教えられることが変わるから、時代によって人の考え方は変わる(個人差よりも世代差の用が大きい)と思ってたんですよね。でも、変わる、といっても変わり方はまだらで、そのまだら度が今はより大きくなってるのかな。まあ、何か自分の理解出来ないことに出会うと「時代」とかのせいにしたくなりますが。わかりやすい解答が欲しいんですね。

 

 
ブームはただのブームです。それが男だったり女だったりとかいうのは色々ありますでしょう。でも内実は、持ってみりゃ自分の子供が一番カワイくなるに決まってるやぁないですか!
様々な理由で一人しか産まないって人は、妊娠前とかに男がいいな〜女がいいな〜とか言ってるけど、結局みんな産まれたほうの性が可愛く思えるってオチです。
一部の男の子贔屓に関しては、これはまだ脈々と受け継がれる男女差別の影響も大きいのではないかと感じています。中には、自分は母親から兄/弟贔屓されて育って辛かったが、自分も娘と息子を持って初めて母が理解できた(自分も息子贔屓してしまう)と言う人もいました。傷(や無意識の思い込み)というのは、温存されたのち再生産されるのだなと。ラクになりたい、あるいは世の中そういうものだと納得したいがゆえかもしれません。
 
また、比較してはいけません、 と言われて比較しなくなるんなら人間そんな簡単なことないですよね。
K.Mさんも「人は嘘をつく」とおっしゃってましたが、 表向きは皆比較したらダメなことくらいはわかってると思います。でもまあ皆けっこう正直にいろいろ公言してるので「 こう言っちゃいけない」という抑圧が薄くなったともいえるかもしれませんね。

時代による傾向の差に関しては、世代別に人がそれぞれそう考えてるというよりは、そもそも自分で考えない人が多くを占めているから、と踏んでいます。今の人たちも、自分も含め、チョチョっとブレインウォッシュでもされたら、けっこう簡単に明治時代とかの思想にも共鳴してそう。古代ローマとかまでは時間かかりそうですが。
わたしには、人間はそうまで脆い(変わりやすい)んだという思いがあるから、時代などのせいにすることにそこまでエネルギーを注げないんです。それは本質でないような気がして。わたし個人にしたって、幼少期〜今の自分を振り返ると、何世代もワープしてきたかんじがします。
今はネットなどをうまく活用すれば、たとえ一生同じ場所で人生を送ったとしてもグローバルな(多様な)視点をもつことは可能です。ネットがなかった時代でさえ、映画や書籍などを漁ってそれをやってのけた人もたくさん存在します。

 

 

Wifeの友達で、男の子3人育てた人がいて、彼女はもうどの子もかわいくてしかたなくて、三人の子供が家にいる間に愛情をたっぷり注いでやろうとおもっている、子供とはそういうものだからうまれてすぐ保育園に預けられるなんて、信じられない、と言ってた人がいます。ま、当然私とは真逆でして。 

 

愛情たっぷりかけたいんなら思いのたけかけたらええやないスか。なぜそこから突如一般化して、A.子供とはそういうもの B.保育園に預けるべきではない にジャンピングしちゃうの??なんの根拠でそんな無責任な飛躍を?

そもそも親が働くことが愛情量などに関係するとなったら、世の中これから大変じゃないですか。

わたしは子供に集中する時間以外(つまり大半)は好きなことやってます。 自分が家にいることが子供にとって特別な意味があるとは一切思っていません。でもわたし側からしたら、 娘を無駄にまじまじと眺められるのが幸せだなあと思ってはいます。
子供のために家にいる、なんて、重い重い。

 

 

ハハ、今となっては化石みたいな考え方だけど、私が子供育ててた時には「親が働く子どもはグレル」と言う考え方が常識だったわけよ。考えられんよね、今では。みんないじめるつもりはなくて親切で忠告してくれるわけよ。母親が子供に愛情があれば仕事なんかできるはずはない、というのだな。今は表面的にはこの意見は出てこなくなった。それが時代が変わったってことですね。でも、底流には同じ思想が流れているかもしれない。時代によって言われることはめまぐるしく変わるけど底流に何が流れているかは意識しておかねばとはおもいますね。

 

 
(続く)
 
 
 


 
その日メモ :
 
最近娘が漫画を書いている。読む方はまだままならないけど、枠を用意したらサクサクと何話も仕上げてくる量産派。
 
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こんなのが何十枚もある。(戸目子の注釈入り)