戸目子はこれまで長くEメールを活用してきて、中には膨大な時間と労力をかけたものも多数ある。でも、思い返すとなぜか一度もそれらを読み直したことがない。なんかとてももったいない!
でももしそれをリアルタイムで記録したら?もしかすると未来の自分が読んだとき、そこに「作品」的な価値が生まれるかもしれない。
というようなことを、エキサイティングなK.Mさんとのやりとりの中ふと思ったのです。どうなるかは未知だけど、往復書簡という形でここに記録してみることにしました。
最初こそかしこまって質問形式で始めたものの早くも崩壊し、今や莫大なスケールと化したメールを上手くまとめることができなくなりました。
ここからは、特に残しておきたい部分を抜粋し掲載していきます。
複数の話題を同時進行でやりとりしているため、まとめると話が前後したり所々チグハグになっています。
黒字=K.Mさん 青字=戸目子
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・趣味の武術と書くことについて
実はわたくし2年ほど前から武術を習っておりまして。昨日もWife原稿の締め切り日だというのに稽古に行ってしまい、原稿〆切遅延・・・てなことになってしまったのですが、武術っていうのは面白いんですよ。武術ってのは自分の動きだから個人的な内面的なものなのだけど、外からの刺激(殴られるからよけなきゃいけない、という反応)と実際に身体を動かすことの間には、何層もの異なる世界があって、それぞれの世界をキチンと感じて動きを伝えるというのはとても難しいことなんです(もしかしたら楽器の演奏なんかにも通じるものがあるかも!?)。そのためには自分の把握している世界の認識の転換のようなことをやらねばならず、そのために、自分の感じたこと、武術の原理などを「言語化する」というのはとても大切だと先生が申しておりまして、納得したのです。言語にする事で他者にも見えるものになって、語り合うことで、認識のズレに気づくこともあり、自分で物事の視点を変えやすくなると思いました。実際はそこまで深めていくのは難しいんですけどね。これ、文章を書くことと同じなんですわ。書いて言語化してちがう時間軸にいる自分や他者の言葉を通してまた再認識する。書くことの醍醐味ですよ。
・アニメ―ションについてのこだわり
ジブリアニメをみるならば,是非「かぐや姫の物語」を見てください。私はねえ、これが日本のアニメの頂点だと思ってる。とことん二次元にこだわった傑作です(退職でヒマになってこれを見た後でWifeに原稿を書き、会社を退職して去る自分を思わずかぐや姫にたとえてしまいました!仲間から、どこが「姫」かとツッコみが入りましたが(^^))。これを見た時に、あまりの美しさに感動し、「ハハハ、勝った。やはりアニメは日本が世界一」と思ったもんです。で、そのあとにトイストーリー4を見て、CG、新しい技術で表現の幅を広げる、その前向きさに降参しました。もちろん分野が違うんだから比べるなんてできないけど、PIXARはやっぱりすごい。魅力的です。ちなみに私は、30年ほど前にトトロを最初に観た時、「ありきたりなつまらん作品だ」と思ったものです。筋書きがホームドラマではないですか。まさかあんなに評価が上がるとは!でも子供と一緒に何度も見てネコバスで遊んだので今では大好きな作品です。作品全体を覆う「やさしさ」に癒されますよね。宮崎駿で好きなのは魔女の宅急便。13歳で独り立ちするとか、泣けてくるなあ。ハウルは私は何が面白いのかわからなかった。このときは宮崎終わった、と思ったものです。でも「風立ちぬ」を見て、「じいさん、よくやった!アンタの気持ちはよくわかった」と思いました。アニメとして云々ではなく個人の表現として、誠実な作品だと思います。ああ、アニメの話は語りだすと止まりません。
・きょうだいについて
ちなみに、長女さんと次女さんの違いの分析が興味深かったんでお聞きしますが、やはり子供3人を3人とも等しく愛することは非現実的でしょうか?
次女さんが一番自分に似ていて扱いやすかったこと、に対して、反発が多かっただろう長女さんは、思い入れの部分では少し違ってきますか?
実際の愛の大きさは3人とも等しいと思うよ。大体、
でも特に子どもの頃に、
子供を持った時、何より失うことを怖れましたね。
贔屓についての話を聞いて私はビックリしましたよ!特に男の子贔屓なんてものは私らが子育てしている時分に駆逐されたものだと思ってた。あの頃、「男の子が欲しい」という親より「女の子が欲しい」という親の方が多くなった、とニュースが言っていて、そりゃそうだろうと思ったもんです。私の周りでも女の子ばかりで男の子が欲しいなんてえ人は一人もいなかった。むしろ息子ばかりの人は嘆いていて、気の毒だ、と思ったものです。これはどういうこと?バックラッシュ?
それにきょうだいを比較しちゃいけないなんてことは子育ての基本でしたよ?幼稚園の先生は、そういう話を保護者にしないの?
私は時代、というか、世の中が時間軸でうごいていく中で考え方とか流行とか教えられることが変わるから、時代によって人の考え方は変わる(個人差よりも世代差の用が大きい)と思ってたんですよね。でも、変わる、といっても変わり方はまだらで、そのまだら度が今はより大きくなってるのかな。まあ、何か自分の理解出来ないことに出会うと「時代」とかのせいにしたくなりますが。わかりやすい解答が欲しいんですね。
K.Mさんも「人は嘘をつく」とおっしゃってましたが、 表向きは皆比較したらダメなことくらいはわかってると思います。でもまあ皆けっこう正直にいろいろ公言してるので「 こう言っちゃいけない」という抑圧が薄くなったともいえるかもしれませんね。
Wifeの友達で、男の子3人育てた人がいて、彼女はもうどの子もかわいくてしかたなくて、三人の子供が家にいる間に愛情をたっぷり注いでやろうとおもっている、子供とはそういうものだからうまれてすぐ保育園に預けられるなんて、信じられない、と言ってた人がいます。ま、当然私とは真逆でして。
愛情たっぷりかけたいんなら思いのたけかけたらええやないスか。なぜそこから突如一般化して、A.子供とはそういうもの B.保育園に預けるべきではない にジャンピングしちゃうの??なんの根拠でそんな無責任な飛躍を?
そもそも親が働くことが愛情量などに関係するとなったら、世の中これから大変じゃないですか。
わたしは子供に集中する時間以外(つまり大半)は好きなことやってます。 自分が家にいることが子供にとって特別な意味があるとは一切思っていません。でもわたし側からしたら、 娘を無駄にまじまじと眺められるのが幸せだなあと思ってはいます。
子供のために家にいる、なんて、重い重い。
ハハ、今となっては化石みたいな考え方だけど、私が子供育ててた時には「親が働く子どもはグレル」と言う考え方が常識だったわけよ。考えられんよね、今では。みんないじめるつもりはなくて親切で忠告してくれるわけよ。母親が子供に愛情があれば仕事なんかできるはずはない、というのだな。今は表面的にはこの意見は出てこなくなった。それが時代が変わったってことですね。でも、底流には同じ思想が流れているかもしれない。時代によって言われることはめまぐるしく変わるけど底流に何が流れているかは意識しておかねばとはおもいますね。