パリに住み始めた2008年から今に至る12年間、ついぞ自分ではほぼ何のアクション(投稿)もしなかったけど、長い付き合いだった。
まだフェイスブック全盛期だった頃にアカウントを作ったので、当時は新しい人に出会っては ”facebookは?”という合言葉で連絡先の交換をしていた。
また、子供時代に別れたまま遠い存在だった異国の友達や、幼少期の友達を見つけ合って"再会"したり、旅する度に現地の人と簡単に連絡がとれるので、連絡帳としては画期的だった。
ここ数年はログインも1〜2ヶ月に一回くらいになっていたので、もうあってもなくても何も変わらない。
でもいざ削除となると気になって一通りチェックしてみたら、今消したらもう一生関わりがなくなるだろう人たちが結構いるなと思って、少し感慨深かった。
思えば、それきり全然会っていない世界中の人たちの写真や言葉、生活、その恋人や子供たちの成長を、facebook を通して見ることで、今でもすごく知ってる風に思えてしまうマジックがあった。
facebook の創始者にしてCEOであるマーク・ザッカーバーグの最近の動向はあまりに酷い。以前から信用ならねぇ的に言われてはいたが、特にトランプが大統領になってからジワジワとその怪しさが表面化し、最近のBLM (Black Lives Matter) の時にはトランプの暴力的な投稿を放置したことで批判が殺到、逆に Twitter などはトランプに対してすぐさま手厳しく対処したことでその違いが露わになった。
直後その弁明に追われたザッカーバーグはとても痛々しく、明らかに利権の絡んだ事情でなんとか切り抜けようとする姿は、なんか、キモチワルッと思ってしまった。
たくさんの従業員が辞表を出し始め(夫の友人にもいる)、たくさんの企業(コカコーラやノースフェイス等) もこぞって広告取下げを表明。
でよく見たら、こないだまではいたはずの戸目子の友人数人のアカウントも消えてる!
まあ、そんなこんなで思い切って消したので、ここでは思い入れのある写真や、思い入れのある(たぶんもう会うことはないだろう) facebook友達の記録を残しておこうと思う。
Paris
よく泊まりに行っていた友人のアパルトマン。据付けの灰皿があって、これを戸目子の灰皿(またはビデ)と呼んでいた。
ちなみにパリではどこでもポイ捨てが当たり前だったので (レストランのテラスでウェイターに灰皿を求めたら、地面が灰皿だと言われる)、よく考えたら据付けの灰皿てのは珍しい。
Paris
パリで(多分)唯一のゲーセン。地下みたいな場所にあってかなり広いが、人気ないのかガラッガラだった。エアホッケーする戸目子の叫び声だけが響き渡る。
Lausanne
今の夫と同棲を始めたスイスのローザンヌ。
スイスというのは、ウィンドウショッピングも全く楽しくないほどモノがないので (あっても高いし)、この頃の戸目子は人生で一番ミニマリストだった。
物のない生活、物を求めない生活というのはものすごくイイ。というのはよく知ってるのに、なぜか戻れない。
Chambéry
(後の)夫と、夫の友人の三人でスイス〜南仏までドライブしたとき。ここはその途中シャンベリーという町。
車で寝て起きたら動物の鳴き声が響くこんな景色が一面に広がってたので感動した。この後すぐ膀胱炎でもがき苦しみながら医者に駆けつけた。(この写真を見るに、兆候は出てたのかも)
Lille
フランスのリールという街...のアパルトマンの玄関先。この友人とは一番多くコーヒー&シガレッツを共にした。パリ時代はスキあらばカフェに出向いて会っていた。
タバコ仲間というのは、禁煙した今では良き思い出です。
【忘れたくない facebook 友達】
・ポリーン
忘れたくても忘れられないだろうけど。謎に艶めかしいフランス生まれのロシア人女性で、戸目子の友人の当時の恋人。
初対面では戸目子に、ひたすら自分のことをどう感じるか聞いてきた。思うか、ではなく、感じるかだと言う。とりあえず、何よりもその艶めかしさが強烈だったので、セクシュアルだとかセンシュアルだとか答えてたら、すごく喜んだ。
あと謎に詩的で、話し方もドラマチック、よく超大作(=すごい長い)ポエムを書いては突然携帯メールに送ってきた。ごめんやけどむっちゃ飛ばし飛ばし読んでた。スピリチュアルな話もよく好んでいた。のちに別の男に恋したと、(ボーイフレンドの友人である) 戸目子に相談してきた。
そのうち戸目子もパリを去り疎遠になったが、数年前のFacebookで見るに突然女児を出産していた。
その後も変わらず、プロが撮っているのかけっこうな芸術的センスで、その豊満ボディのヌードやセミヌードの写真をコンスタントに投稿。最後に見たのは、素っ裸で線路に横たわる白黒写真(長文ポエム付き)だった。(キッチリ保存)
・アンドレア
東ヨーロッパ人(国を失念)の女性。戸目子が住んでいたパリ郊外のシャトーにフラッと現れ、数ヶ月だけ住んでは去ったハープ弾き。
彼女が全パッションを投入していたのはパルクール。(※身体を自在に動かしながら主にビル間などを跳んだり登ったりしながら移動するらしいトレーニングスポーツ)
パルクールを語り始めると戸目子も感動するほど熱かった。ほぼ毎日夜遅くまでビルからビルへ跳ぶ練習に勤しんでいて、いつもタイトなウェアに身を包み、無駄な脂肪は一切なく、完全にストイックなアスリートの生活だった。
目の下側だけを極太の黒でなぞるドラキュラメイクが似合っていた。取ったところを見たことがないので、アートメイクかずっと気になってはいたけど、そんな野暮な質問も容易くできないくらい、パルクール命オーラがハンパなかった。
ちなみに彼女が部屋でハープを弾いているのを戸目子が聴いたのは、数ヶ月間でたった一度のみ。..なぜハープなのだろう。ほぼ使わない上に、あんな重くて不便(楽器の仕組み的にも不便)なものを持ち歩いて放浪しながら、パルクールするのか。そういえばフランス語も英語もけっこう自由に操るツワモノだった。その後はふらっとアメリカへ行った。
Facebookの写真はほぼパルクールしてる自分で、たまに思い出したようにレストランや駅でハープを奏でている動画も投稿していた。最新のプロフィール写真は、夕陽をバックに彼女が仰向けに弧を描いて落下してる美しいショットだった。
・ララ
アメリカ人の女性アーティスト。
当時パリで戸目子がよくつるんでいたとあるグループに、ある日アメリカから出てきたばかりの彼女が現れた。皆に自己紹介したとき、戸目子は一瞬で彼女が大好きになった。クールな見た目に飾り気のない所作、かつ誠実さ正直さが滲み出ていて、そこにいるすべての人に同じ重量で丁寧に接するスキル。ちょうど戸目子の隣に座ったのでけっこう色んな話をしたけど、記憶にあるのは "存在がアート" ってだけ。
基本的にはデジタルペイントが専門。Facebookには自身の作品をよく載せていて、デジタルとか絵とかあまり興味のない戸目子もじっくり見入ってしまう。絵そのものというよりも、作品や創造の裏にある動機やイデオロギーに反応したんだと思う。
彼女はある理由から10代のときに片方の乳房を切除していて、それをたくさんの作品に反映させ、創造の原動力や表現対象になっている。アートとは、その背景に何があって、何が作者を突き動かすかにかかっているんだと思った。実際に目に見えたり耳で聴こえる部分だけを美しく磨いたり整えたりすることにほとんど意味はないこと、芸術を扱っているからといってアーティストであるとは限らないことを理解した。
ララに会ったのは大人数でのパーティで3回ほど、彼女がパリで何かしら始めんとしてた頃だった。その後10年近くFacebookを通じて戸目子が彼女のアートにこれほど共感してるなぞ思ってもないだろうな。てか戸目子のこと覚えてるかな。とてもマメな人だったから覚えてると思うけど。
と調べてみたら彼女のホームページを発見した。いつか戸目子の住む街で個展をやるなんてことにならんでもないかもしれない。そん時は絶対飛んで行く!
・アンドレアス
スイス人のパパ友。ローザンヌで児童館のようなところに通っていたとき、戸目子に初めてママ友やパパ友なるものができた。あの児童館では子供から目を離してる親が多く、大人は自由に読書などに耽ったり、親同士の世界が出来上がりやすかった。大学で有名な国際的な街だったので、児童館などはもはや国際交流センターかニューヨークかという人種のるつぼ具合だった。
その中でも一番仲良くなったのがアンドレアスで、彼の息子とウチの娘の4人で何度か遊びにも出かけた。
当時彼は、戸目子の夫と同じ大学でポスドクをしていた。フルで働く妻が子供のお世話はしないと言い切る猛者だったので、育児は彼がほぼ全部担っていた。家も近所だったので、スーパーなどでは息子を肩に乗せた彼によく会った。夜中の授乳は、息子が泣いたら妻の胸元に移動させ、終わるたび息子の部屋に戻す運び屋だったらしい。
その息子さん、世界の名前辞典なるものからピンときて付けたというが、その名もノリオ。日本名らしいけど今どき日本でも珍しい。典夫?とにかく金髪青目にノリオという和風名が絶妙なコンビネーション。しかもノリオはフランス語・英語・ドイツ語・ハンガリー 語という環境で育つのだ。
ノリオには最近弟もできたみたい。彼はまた毎夜忙しく運び屋になってるんだろうな。
・ヤーチン
パリで同門だった中国人の女性。初対面の日、他の人のレッスン中に一際美しい姿勢でノートに書き物をしてるから、真面目にメモでもとっているのかと思いきや、よくみたら数独やってた。ゲームかょ!と思ったけど、その真摯なまなざしには崇高ささえ感じた。
茶色い小型犬と一心同体で生きていて、音楽院にもよく連れてきていた。アジア版キューティブロンドと認識。ある日ヤーチンへの挨拶も兼ねて戸目子がその小型犬に触ろうとしたら、突然気が狂ったみたいにむちゃくちゃ吠えられた。ヤーチン以外の人間にはイジワルらしい。
彼女は佇まいに独特の美的センスがあり、見た目も麗しい。しばらくして中国に帰ったから何するかと思いきや、キスキスパリスという自分の写真集(パリのあらゆる場所でフランス人とキスしてる)を出版してプチブレイクしていた。その写真たちにはあのイジワルな小型犬も写っていた。
その後なんか見るからに優しそうな男性と結婚したかと思いきや、妊婦となった自分の下着姿を毎週アップし始めた。これは、同時期に妊娠した人にはとても参考になったのではと思うくらい詳しい写真だった。
何かあるたびに予想外の展開技で驚かせてくれるヤーチン。あの可愛い子供たちの成長は、できればずっと見ていきたかったなぁ。でも共通の友人も数人いるから、写真だけでもいつかまた..
その日メモ :
2、3歳くらいから「なんで○○なの?」の質問攻めが始まると聞いていて楽しみに待ってたけど、娘はソレがほとんどなく、すべてを飲み込むタイプ。
5歳半の今、というか今日、それはいきなり来た。
小一時間質問攻めにされた戸目子。数年待った分の喜びは大きい。。
「なんで世の中には色がたくさんあるの?」
「なんで自分はミスター宮夫(猫)がすきなの?」
「なんでmommyはdaddyがすきなの?」
「死んだら次の動物になるの?」
「なんで自分は女の子なの?」
「なんで自分はリアルなの?」
自分とは