戸目子のブログ

大人になった娘が読むことを想定して書く、日常や過去の覚書き

K.Mさんとの往復書簡【7】クラシック音楽界と保守主義

 


黒字=K.Mさん 青字=戸目子

 

 

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都市部に限られた話ですが、 わたしが欧米で暮らしていて一番驚いたことのひとつが「人間一人が一生涯で出会う人の絶対数が日本と違いすぎる...!」ことです。これはけっこう衝撃でした。 欧米と一口にいっても様々で、もちろん人にもよるけど、 北アメリカ都市部は特にスケールがでかい。

会って会って会いまくる。そしてみんな変わっているのが当たり前だから、相手が "自分と同質か異質か" を干渉し合わない環境でした。

干渉が少ない世界では周りの目があまり気にならないから、劣等感や自意識というものが過剰に育ちにくい傾向にあると感じます。よく言われる『日本特有の息苦しさ』ていうのは、この自意識過剰さとその圧力に由来すると踏んでいます。でも実際この干渉文化の日本でさえ、人はそこまで他者のこと見てないし、気にしてないし、興味ないのになとよく思ってました。もっと自由でいいのに。小池知事みたいに、自分ファーストでいい。(小池さんはだめだけど)

 

ところで、自意識過剰にならずに生きる人生はかなりおトクだと思っています。『社会が意図的に作り上げた価値観』に縛られないから。「これが正解」とか「これが美しさ」とか「これがあなたの役割」とか規定されると、真面目な人ほど振り回されてエネルギーを消耗してしまう。

またバイレイシャルであったり、価値観の全く異なる世界に身を置いたりってのは様々な困難を抱えますが、多様性のある環境にいることで得られるかもしれないメリットは、そこ(しがらみや規定からの解放、その突破口の多さ)にあると思っています。
でも、干渉し合わない社会では常にどんどん主義主張していかねばならない、主張がなければ存在しないも同義だぞという空気はある気がします。だから人の極端な部分も表面化しやすい。

また、元々そんなにしがらみの無い人や、人間社会にそこまで興味がない人にとっては、そういう環境が特にインスパイアリングではないかもしれませんが。

 

 

 

そうね。「異文化と接する機会が少ない」「同質の人間がかたまって暮らすことを良しとする」というのは、日本だけじゃないだろうけど、島国日本の社会の特徴ではあるよね。自分が「変人だ」と思う時も、周りとの比較によって自分の「変」を認識する思考パターン。自分を振り返ってもそう思うわ。要するに経験が少ないのよね、戸目子さんのいう「出会う人の絶対数の違い」っていうのはよくわかる。人口密度は高いはずだから「出会える人」もアメリカとそうそう差はないハズだけど、「異質な人」に出会う経験が少ないのよね。転校生がやってくるとそりゃあ珍しい生き物のように扱われたものよ、昔は。今でもそういう同質な地域、集団はあるのだろうな。

でも「人にたくさん会って会って会いまくる世界」で暮らせるのは自分がしっかりある(自他の区別がつく)からだろうね。 自分がなければ人に会ってるうちに、 自分がどこにいるのかわからなくなるんじゃないか。

私も18歳で四国を離れ、大学で学生寮に入った時は、しばらく何が何だかわからなくなったことがある。いろいろな地方からやってきた人たちと四六時中集団で暮らす(4人部屋)から、まず言葉が混乱する。おまけに学生運動の名残もあって、価値観もまるっきり違ったからね。…こういう田舎者はすぐ洗脳されるんよ(笑)。きっと日本では、まわりの人からの視線を感知してそれによって自分をつくる みたいなことしてんだろうな。 他者の目から見た自分というのが常に自己認識になる。他者に合わせるか、他者に反発するか。自分を周囲に合わせて形作る。…誰にも見てもらえないと何をしていいかわからなくなる。

日本の社会はどこにでもピラミッドがあってそれの何段目に自分がい るか。が最重要だからねえ。英語で、「先輩」「後輩」 って言葉ないじゃあないですか。 でも日本じゃこの言葉を抜きに物語は語れない。自分が相手にとって「先輩」か「同期」か「後輩」か。その関係性でドラマが生まれる。 特に日本の会社みたいな男世界ではね、必須。日本からこの通念(相対的位置の重要性)を取り去るのはかなり大変だろうな。すべてを年齢、いつ学校、会社に入ったか、でものをみる考え方。 むしろ性別以上に刷り込まれてるのではないか。

「部長」「課長」みたいな役職もそれに加えて会社の中の相対的位置を決めるものになっている。でも最近は外資系に倣って役職を細かくつけるのはヤメヨウ、 フラットにしようという話は出るし、実際私の働いていた会社でも役職名じゃなくて「…さん」で呼びあおう、とかやってた。でもこれをやると、 リーダークラスの人から「責任感」が消えうせる、というのが私の感想。リーダークラスの給料もらっていても、その自覚がないというか、働かなくなるんよ。「役職が目に見えないから、組織を守るために働かなくてもいい」という感じ?つまり、みんな自分のために働いているわけじゃないってことなんだろうねえ。
そして役職がつかないと、そこで大きくなるのは年齢差だったり性差だったりする。「若造のくせに」「女の分際で」口出しするな、という話。…そんな中で40年近く働いてきて、女の分際でああだこうだ言って周りにヒンシュクをかってたわけなんだけど、でもね、この私でも権力を意識することがあった!それは年齢ね!私のいた部署が品が良かったのかもしれないし、アタシに能力があった(笑)ってこともあるとは思うけど、「年取った女」には手が出せないみたいなのがあったなあ。給料が上がるとかえらくなるとかじゃないんだけど、発言力は増す。それは実感した。男は「年取った女には逆らえない」みたいな感じはあった。で、面白いことに「年取った女の権力」は女には効かないのよ。女性の部下はズバズバイタイとこついてきましたわ(笑) 

 



 

イタイとこついてくる存在というのは貴重ですね!パワーを持つ人こそそういう存在が必要なのに、権力者は自ら無知の境地に安住したがる。まあK.Mさんの場合はお人柄もあったと思いますが、もし女同士でそれができるって事ならなかなか未来は明るそう!

話したことあるかもしれませんが、 わたしは東大あたりのエリートたちが集まるアマチュア音楽サークル、 カリフォルニアやスイス(こちらは共演もしてました)のアマチュア音楽サークルなど、エリート系アマサークルに何故か縁があるんですが、 日本のエリート・アマサークルに限って大っ嫌いなんです。
音楽に熱いっていうのは同じだし、純粋にすげいな(とくに知識量)と感心する人もいるけど、 なんかパワハラ系ヤバいやつがヤケに目につくんです。なんで、 兄も義姉もなんも感じないんだろう?!(と、ことあるごとにdisってるけど、彼らはいつもふふふとほほえむだけ)

昔、とあるサークルの打ち上げに妹としてふらりと参加したことあるんだが、 もうイライライライライライライライラして居てもたってもいられませんでした。あれが、あのニッポン・ホモソーシャルの世界か?! わたしが属したことのない、あの世界なのか!?

ドスドスドスと男どもがエラそうに席につき、 そこへぞろぞろと下っ端(兄など)と女性が続き、 エラそうな男どもが、 お前はココとか君はソコとか指示するわタバコ吸うやつはソッチとか言うわ(当時わたしは愛煙家だったので恨みはでかい)。女性は皿を分けたり失礼な男どもめの発言をうまーくかわしたりいなしたり、 あの普段トロイ兄までもなんだか気を使っている。。

ここはマフィアの溜まり場ですか?
わたしはひっそり殺意を抱いていた。 兄のために殺意の表明は慎んだけれどもが。
これはひとつの例ですが、K.Mさんにとっては集団アルアルなのでしょうか?
だとしたら、世も末感ハンパないです。

 

 

 

はい。年上の男(=権力者)にへつらうのは集団あるあるっていうか、会社組織におけるマナーです。世も末な話を追加しますと、私もこのような場で女が気を使い、 食事などの支度をし・・・というのは嫌いでしたが、 会社の中で見ていると、会社で出世するオトコというのは、 私の100倍もこのような場で気働きができ、 すすんで女のように働くのです。いうなればホスト? そうして同様に女でももちろんそのような気働きができる人が、 良い果実を得ることができるのですね。このマナーは政治家をはじめとする日本社会に隅々まで行きわたってると感じますよ。…若い社員の間にもね。それで出世できるなら安いものってことか?
でも生存競争のための会社ならともかくアマサークルでそれっての は、一体いつの時代だ?さすがクラシックだ、とは思いますが。 マフィア、ヤクザ・・・古い日本の集団はいまだに(たとえそこに若者が入っても) それをひきずってるんでしょうなあ。

 

 

 

音楽の世界て、ホント男に甘いんですよね。日本だけかと思ったらそうでもなかった。パリでは特にゲイがクラシック界を牛耳ってる部分がある。男がチヤホヤされたり評価が甘甘になるのも許されちゃうし、男たちは自分たちが下駄をはかされている自覚もあった。(自覚してることを女である私に表明するってだけで、当時は「なかなかやるやん」とか思ってましたが、今やったら「ほんならどうにかしいよ」「得しよる側が声を上げてーよ」となりますね)
すべてのアーティストが愛する伝説のピアニスト、ホロヴィッツは『本物のピアニストはユダヤかゲイかその両方』と言ったという。まあ彼自身のことですが。どれにも当てはまらない人たちはどう思うでしょうね?意欲削がれるでしょ?クラシックのゴッドが言うんだから。それでも男は「自分は男だからちょっと当てはまる♡」なんて思っちゃう。わたしもホロヴィッツは神と思ってるけど、どんな天才と言われる人物だろうがクズな部分は否定しないと。振り回されてどうするの。
 
そんな中でわたしは比較的「日本人」「女」枠にあまり関係なく評価されてきた運の良い方だと感じていて、個人的な鬱憤みたいなのはないんですが、実際の部分ではどうかわからないし、周りの ”出来上がった” 雰囲気にはいつも心中穏やかではなかった。 そこにはミソジニー(女性蔑視)を拗らせた女もたくさんいた。
あと、(男は)やっぱリスクを背負ってるから迫力が違う〜とか、ステージで見栄えするから〜とか、果ては筋肉量があって音がきれいだから〜とか、周りの女たちは一生懸命自分を納得させようと(あるいは本当にそう思い込んで)発言していました。
あの世界は浮世離れしてるから、それこそ変化しにくくて無法地帯になりえる。そんな音楽界ものちに#MeToo運動で大打撃を食らったけど、これを機にどこまで変わるか。
 
 
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リスト音楽院のホール(2005年/ブダペスト)
 
 
でもクラシック音楽界の人たち(と言い切りたくはないが)には、あまりこういうことを共有し合える人がいなかった。だから音楽の外の世界に積極的に参入していったら、まあそれが会う人会う人すごい新鮮で。付き合いのある人はどいつもこいつも皆フェミニストだったし
そしたら今度は一転、わたしのほうが大分「遅れてる」側になった。
そこからは速かったです。だから、価値観を変えたというよりは、自分は変わるべくして変わったのだと思っています。
 

 

 

ゲイがクラシック界を牛耳ってんのかあ・・・なんかわかる気がするわ。でも日本でも歌舞伎とか能とかは男だけの世界だし・・・相撲も、野球とかサッカーとか、そしてラグビーも男女はキッパリ別だなあ。そしてそういうものがみんな好きよね。でもユダヤ人とゲイ、とか言われるとまたこれ日本の男色とかとは意味合いが違ってくるのかなあ。

やっぱり西洋の、というかこれはキリスト教から来るのだろうか、世界感はちょっとわからないなあ。日本の会社組織の男女差別と同じなのか違うのか。Metoo運動もそんな世界を変えるという意味があったんだね。

 そして、戸目子さんがよく言っている、「フェミニストと言えば男のイメージ」すらあるということ、これが日本のフェミニズムとの大きな違いだな。上野千鶴子も日本と海外のフェミニズムは異なると言っていたけど、その時は何のことかわからなかったけど、これだな。日本ではフェミニズムも何らかの差別も「個人的なこと」なのよ。当事者の問題で、そこに他者は踏み込めないという認識がある。だから日本じゃ男のフェミニストって、嘘クサいんだ。あんたにわかるわけないじゃん、って。でもきっと、海外、欧米では民族差別も男女差別も同じなのね。どんな「考え方」に賛同するか、が全てなんだね。だから男のフェミニストもいて当然なんだ。

 

 

(続く)

 

 

 

 

 

その日メモ :

始まったばかりの2021年だけどもう今年一番の!!と言える本(漫画)に出会ってしまった....

 

コレ↓

AV女優ちゃん1

AV女優ちゃん1

  • 作者:峰 なゆか
  • 発売日: 2020/12/19
  • メディア: Kindle版
 

 

老若男女(子供以外!)すべての人類が読むべき書。

画もいい、むちゃくちゃユーモアあり、かつたっくさんの社会問題がこの一冊にぎっしり詰め込まれてある。

 

とりあえず本日読み終わったので、これから1週間かけて夫に一言一句英訳しながら読み聞かせていきます。