戸目子のブログ

大人になった娘が読むことを想定して書く、日常や過去の覚書き

若いうちに知れて良かった!!でも活かせてはないデータ

 

戸目子には数年間にわたり、お互い国を転々としながら毎週決まった時間にSkype電話し、近況や社会問題や発見した面白データなどを報告し合ってはくそ真面目に議論するというヲタヲタしたオタ仲間がいたのですが、

その友人がある日、
90歳以上の高齢者(ヨーロッパ在住者)を対象にした
"人生でもっと大切にしておきたかったもの
/早く気づきたかったものTOP5" 
という大規模調査データを教えてくれました。

TOP5‼︎ 的なものに飛びつくなんて若かったな.. と思いますが、このネタは今でもたま〜に頭をよぎっては(全然応用できてないな)と反省しています。

ちなみに、戸目子は基本的に、高齢者(年長者)から一方的にいただくアドバイスは不要だと考えています。
生きる時代や価値観が違うからというよりは、
歳をとると「若者に説教したりアドバイスしたりすることで、我がミゼラブルな人生をちょっと正当化できる」とか、無自覚な自己満足が理由である場合が多くみられるからです。

でもこの調査は、90年以上という長い年月を生きてきて「名残惜しく思っている/後悔していること」についての匿名回答。
そんなんを20代で知れるなんて、なんてラッキーな自分ら!!と二人で喜び合ってました。

 

では、記憶にあるまま書いていきます



 1 : Love

愛です。
TOP5の順序は忘れたけど、このラブが断トツ一位だったのは確かです。
それもいわゆる恋愛的な文脈での愛ではなく、人類愛のほう。
大切な人だけじゃなく、会う人一人ひとりに対してもっと愛を持って接すればよかった、という話でした。

戸目子もねぇ、これはホント課題です。
子供を持ってから少し発想の転換ができるようにはなりました。
例えば、どんなヤバイ人間を前にしても「もしこの人が我が子なら」という視点を持つと、そう簡単にジャッジはできないものです。

ただ、ここでいう愛というのは「自分なら」「自分の子供なら」という自分中心な発想を超えた、「ただすべてを愛せばよかった」というシンプルなものかもしれません。

 

 

 2 : Awareness

これは「認識する」とか「自覚的であること」のような意味で、ピッタリくる日本語が出てこないけど、最近は日本でもアウェアネスという横文字をよく見かけるようになりました。

今やっていることに意識的であること。
例えば、お風呂に入ってるときは他ごとを考えず、「自分は今お風呂に入っている」状態をしっかり感じるべきだった、みたいな話。
また、人はけっこう "今現在" を疎かにして、過去や未来にばかり思いを馳せているらしい。

これに関しても戸目子は日々反省があります。
過ぎ去ってゆく時間がもったいなく感じて、皿洗いしてる時にラジオ聞こ!とか、娘とポケモンバトルしてるついでに音楽聴こ!とかなる。
でも結局マルチタスクはマルチタスクでしかなく、シングルタスクに比べて充実感はかなり薄い。
皿洗いの時は皿を洗う感触をじっくり楽しんだり、ラジオや動画は全集中して聞いたり、雑念なしで音楽を聴いたり、死ぬほど退屈でも娘と徹底バトルしていた方が生きている実感が伴う。何より、マルチタスクだと記憶に残りづらい!

と、わかってはいるものの。
今を生きる、というのはけっこうエネルギーが要るのかもしれません。

あと、歯磨きしてる時にものすごいアイディアが浮かぶ、みたいなことはよくあるので、一概に「歯磨きの感触を全身全霊で感じる」ばかりが良しってわけではないやろけど。

 

 

 3 : Reflection

「もっとしっかり考えるべきだった」。

awarenessの延長とも言えますが、反応的/反射的に生きるのではなく、自分の言動や選択について、時間をかけて問い、深く掘り下げて考えるべきだったという話。

これは、昔から自由時間がたっぷりある戸目子にとっては、後悔はあまりなさそうです。

内省する・そのための時間を設ける 両方が重要なので、追われるような毎日を送る人、あるいは権力者などイエスマンに囲まれることが避けられない人にとってはハードルが高いと思います。

 

 

 4 : Courage 

勇気。

人生は一度きりなんだから、みたいなのはよく聞きますが、やはり大多数の人にとって、何かするのに勇気がなくて踏み出せなかった一歩はたくさんあるみたい。

「失敗は怖いけど、あとで後悔しないように挑戦する」とかいうレベルを超えて、バンバン数を打ちまくることで得られる自信というのは強靭だなと、そういう人を見てて思います。
不安の強い人でも、怠惰な人でも、この分野ならバンバンいける!という何かが一つでも見つけられたら幸運だと思います。

 

 

 5 : Legacy 

人は、自分が生きた証を残したがる、ようです。

人によって、それは権威だったり芸術作品だったり子供であったり。
自分の名前がどこかに刻まれる、とかも。

ここらへん戸目子は今も昔もピンとこないので、とりあえず歳をとってみてから悔いようと思います。

でも、なんかそのレガシーが大きいほど死ぬ(別れる)のが名残惜しくなるような気がしますが、それはまた別なんだろうか。

 

もしかしたら、こうやって書き物を公開するという行為もレガシー欲なのか?
将来娘に読んでもらうため、とはいえ、その目的がなくてもいずれ何かしらの形で書いているような気はする。

...でもやっぱり、これが自分の死後残るかどうかは本格的にどうでもいいしなぁ。

 

ちょっと周りの人たちに、どんな証を残したいか聞いてみようと思うのでよろしく。

 

 

 

 

その日メモ :

複数の女優による、映画監督への性被害告発により、とうとう日本映画界にも#MeTooがやってきたようだ。

 

『愛のむきだし』や『冷たい熱帯魚』など、園子温監督の作品は、昔からものすごく好きです。
彼の自伝『非道に生きる』もかなり面白い。

 

 

映画作品のスタイルや著書を読めば、彼がかなりヤバイ人間であることは明らか。

だけど、リアル他者に対してそのヤバさを抑制するという当然の理性を放棄していたとは.... 

 

権力者をヨイショする社会にありがちで有害なもののひとつに、「この人は天才だから○○」と、本来なら欠陥として非難されることを免責してしまう周りの人たちの存在がある。

当人はそうやって特別扱いされるうちに「自分は特別だから許される」が普通になり、助長され、麻痺していく。
忘れてはならないのは、そうやって権力者をアゲアゲする人たちというのは、いざ自分が権力を手にするとそれを乱用する。

 

園子温や榊英雄については、やりたい放題の幼児がそのまま大きくなって運良く権威を手にしてから、肥大した万能感で欲望や支配欲を「自分にとってただの記号でしかない女たち」になすりつけまくるバカなので嫌悪感しかないが、木下ほうかに至っては、被害者の告発内容が事実だとすると、異常なサイコパス感を感じて震えた。
こいつ、人の心がないな、と。

 

興味深かったのは、一連の報道に対する有名監督らのコメント。

井筒和幸
『日本映画の業界全体が色眼鏡で見られてしまうことが問題。監督はみんなこんなことしてるんちゃうか、と思われるのは心外だ。』

是枝裕和
『加害行為は、最近になって増えたわけではなく、残念ながらはるか以前から繰り返されてきた。被害を受けた多くの方がこの業界に失望し、去っていった事実を、私たちは重く受け止めるべきではないでしょうか。』(一部抜粋)

 

どちらのコメントが権力寄りか、そしてどちらの監督が現状を変える力を持てるかは一目瞭然。

 

社会があれば権力者が出てくる。
権力者=人格者ではない。
権力者がその権力を悪用しないようにするには、システムを変えるしかない。
こんな基本的なことを、被害者たちが身の危険を覚悟して告発するまで放置される世界は病んでる。
映画界はその一部にしかすぎない。
一刻も早く、パワハラで搾取される人がいないのが当たり前の世界になりますように。