戸目子のブログ

大人になった娘が読むことを想定して書く、日常や過去の覚書き

K.Mさんとの往復書簡【4】アンタのため、とは

 

黒字=K.Mさん 青字=戸目子

 

 

誰かから予想外な扱いを受けたことで、それまでの自分の感覚に疑問を持ったという体験はたくさんあります。子供時代から、そして海外では文化の違う人たちの内部に入るとザラだった。なんたってそれは 昭和 vs 個人主義 ですからね!

例えば、わたしは押し付け的な「アンタのため」方式で育ちましたが、そもそもなにがアンタのためなんか、ちゅう定義からして場所が変われば全然違います。(私から見て)ほんもんの「アンタのため」に触れた当初は感激しぱなしでした。それは今の夫との生活でももちろん感じてます。

 

この話はとても興味ある!このほんまもんの「アンタのため」に触れて大感激したエピソードを紹介してもらえるとうれしいなあ。どうして夫Mさんは押し付け型アンタのため、に陥らなかったなかったのかな。

 

夫個人に関して言えば、何より「愛する能力」が並外れているんです。 これに関しては、生来そうなのか、 あるいはどこかで獲得したものなのか、今もまだ調査中。
そんな彼の愛である「アンタのため」を要約すると、『戸目子に欠点があっても変化を強要・期待しない。でも、 もし昨日より今日の戸目子が better な人間になってたら自分は幸せに思う』です。(ちなみに、その "昨日よりbetter人間" 云々は、 彼も彼自身に課してることです) 


これまで出会ったほんもんのアンタのためもこれに通ずるところがある。 個人主義という点から欧米に多いのは当然なんでしょうが。

対する日本での「アンタのため」は一貫して「 あなたはこうなるべき/なれ、こうするべき/しろ」でした。

以前K.Mさんにも面と向かって問われたことがある「 戸目子さんは何がしたいのか」という質問。これ、 実は「わたし」 に目を向けて聞いている「わたしのため」 になる質問なんですよね。
かつては音楽のコミュニティにどっぷり浸かっていて、 そこにかなり強固なアイデンティティを見出してたもんやから、 自分に誠実に思考することはできませんでした。日本ではどこへ行っても「あなたは絶対音楽の道・ それが宿命」と断言される。「あなたは何がしたいのか」という一番大事な視点が、大の大人たちにスッポリ抜けていたのは、私がどれくらいその才能を持っていると感じるかという客観的な部分と、高校からすでに専門の道に進んいる、という現状が相乗効果となっていたんだろうと思います。進路については紆余曲折ありましたが、その中でわたしには唯一の選択肢しかないように思わされたし、それに躊躇するのはわたし自身に問題があるからだと実際思っていました。

ちなみに、断言される/期待されること自体は嬉しくはありました。これが自分の情熱と一致していればどんなに幸せだろうとよく思ってたし、期待をかけてくれる人たちにはチクチクとした罪悪感も感じてた。またわたし自身も、もしかしたら何かがどうかなっていつか目覚めるかも!という根拠のない期待感もなくはなかった。つまり、モラトリアムに生きる条件が全て揃っていたようなものです。

 

そこへきて海外で友人や恋人たちに「 あなたは何がしたいのか、本当にそれがしたいのか、何があなたを一番エキサイトさせるのか」 と聞かれるたびに、 少しずつ少しずつ殻にヒビが入っていたんだと思います。

というのも、なぜかわたし、 本業以外のことなら聞かれんでもペーラペラペーラペラ声高に主張するくせに 、肝心の自分のやってること、自分のキャリアについてだけは、 うまく返事できないことに徐々に気がついたんです。 そこについて話すときだけ、「こう言わなくてはならない」 が発動し優等生になっちゃう。

そうこうしているうちに、元々持ってた内なるパッションが「自分のメインの居場所はココではないよ」と主張し始めたかんじです。人間関係にしても、ひたすら専門以外の世界に目を向けていた。


なので細かなエピソードというよりは、「自分」を認識されありのままを見ようとしてくれる、ありのままを尊重される、という本来当たり前のことを経験し、それに感激していたという話です。
これは日本でも不可能なことではないですよね。 実際この片鱗に触れたのが中学時代で、 あの人たちのおかげで初めて自分に目を向けることができた。

でも依然としてこの国の大人社会では、何者かになるか演じるかしないとそう易々と尊重されないというジレンマを抱えているように思えます。社会目線/他人目線の根深さ。



この話は素晴らしいなあ。こういう話を聞くと、 日本社会の中で救われる人たち(若者も老人も)がたくさんいるん じゃないか。 何者かを演じ切れずに苦しむ、 特に若い人が多いのではないかと思います。

今の時代、育児放棄などでほっとかれる子供もいるけれど、「 子供をちゃんと育てたい」という親に当たってしまうと、 それはそれで管理が厳しくなる。学校での「良い子」 の定義と家庭でのそれは今はほぼ一致しますよね。 テストでいい点を取り、何らかの活動に参加して優秀な成績を(小 学生の頃から)修める。そこから外れた子供をかわいがり、 他にも生き方がある、人生なんとかなるを教えてくれるのは、「 優しくて話の面白い、でも、何浪もしてる近所のお兄さん」や、「 出戻りで親戚からは悪口を言われていて、 それでもセンスが良くてすっごい綺麗な親戚のおばさん」 だったりしたのだけど、今は近所、 親戚づきあい文化はほぼ滅亡ですからね。あるとしても、「 価値観の同じひとたち」の集まりでしょう。 多様な価値観を知る経験が少ない。 経験が少ないと視野が狭くなる。「道から外れる」 という言葉がありますね。「道から外れる」 ことを何より日本社会では嫌うのではないかと。で、その「道」 が何か、ということが、問題。今はその「道」 の幅がごっつう狭くなって、 しかも歩いてるうちにどんどん狭まってるんじゃないか。

余談ですが、よくタレントが不倫したとかで叩かれるのは「 道から外れた」と認識されるからなんだろうなあ。で、 同じ事を男の政治家がやっても不問にされるとかいうのは。 それは男の政治家には「道から外れた」ことにならないという、 認識なのかなあ・・・。階級によって「やっていいこと」 が変わる。男の政治家の「道幅」はごっつう広いんだろうなあ。

 これは私も経験があるけど、狭い視野の社会で育つことで、 子供も洗脳されて、本人が「 何者かにならなくてはならない」と固く信じてしまう(= 道から外れることを怖れる)のよね。だから、周りからは「 この人の本当の望みは何か」がわからない。 ほんとうにやりたいことを考える、という習慣がないんよね。「それができる」という応援もしてもらえない。むしろ潰される。 幸せが人それぞれ、ということもわからない。相対評価だからね。

結婚もそうだと思うわ。婚活とかね、「結婚せねばならない」 と自分で圧力をかけている。就職だって、今は「正社員」 にならなくてはダメ。 ハケンで未婚は社会の底辺みたいな意識がある。 実際経済的に損する社会構造にはなってるんだけど、でも「 本人の幸せ度」はそれとイコールではないよね。 私が働いているときに、 会社に来れなくなった(めまいや動悸) 30歳過ぎの派遣社員の女性のことを思い出しました。 よく気がつくし、アイデアはあるし、優秀だった彼女。 でも「正社員」の道は確保されてなかった。 だから私は彼女が何とかその道をつかめるように、 彼女にもう一度会社に来て仕事ができるようにしたい、 そうなってほしいと思っていた。彼女は疲れてたんだと思う。 彼女がいくら私の部署できちんと働いても、 私には彼女を正社員に登用する力はないからね。 彼女のために何をしてあげればいいのかわからなかった。 今思えば私も彼女が「道から外れる」 ことを怖れていたのではないかなあ。 余計な世話をしていたのかも、と反省。・・・ここWifeか何かに書こう。

 自分のキャリアについてうまく返事できない、 というのはそれはよくわかる。私もそれは同じ。 今までの人生の中で、進学、就職、結婚、出産・・・ そのたびにいろいろな選択をしてきた。会社生活の中でも、 テーマが潰れたり、 社長の一言で部署が潰れたりしたときに選択肢はあった。 その中で「自分のやりたいことは何か」を考えてきた。 きたけれど、家族のこと、職場のこと、そして自分の弱さ・・・。 様々なものによって道は曲がりくねった。そして今に至る。 今も自分のキャリアは道半ば。「アンタ今まで何してきたの」 と言われたら、「さあ?」って笑うしかないな。私、 テキトーな人間なんよ。 テキトーだけど夢見る夢子は今もキャリアを模索中。昨日よりbetterならhappyっていい言葉!座右の銘にするかな。

でもいろいろなパッションを持って道をしっかり切り開いてきた人 も多い。もちろんそのために多くのものを捨てたのだろうけど。 そして 中にはパッションで型を纏おうとする人もいる。

 

今日は知事選の投票日だけど、小池百合子って興味深いなあと。『 女帝』を買って読んでみようか思っている。ウソツキなのだけど、 でもあの人は並外れたエネルギーを持ってるんだろうなあ、 と思う。 彼女を好きなオバサンは多いのよね。 私の同僚にも小池百合子みたいな感じの人がいてねえ、 数年彼女と仕事した。一緒に仕事して腹が立つこともあったが、 彼女の権力欲に対するストレートさ、正直さには感心した。 最後にはがんばれよ、と思ったもんね。 小池百合子にダブって見えたわ。 野心の大きさは比べ物にならないのだろうけどね。 トンデモナイ奴だと思うけど、 ああいう毒みたいなものに人間は惹かれるのかねえ。

 

 

『女帝』即買いました。爆

にも関わらず、二ヶ月たってもまだ3割しか読めてません。ぜんぜん投票日に間に合わなかった。というか間に合うもなにも、小池さんに投票する気はゼロでしたけど。でもここまで宇都宮さんとの差が開くとも思ってませんでした。

この本については改めて書きたいのですが、やはりこういう人いますよね?!

彼らは彼らでそういう運命なのだろうと思います。”それ”が政治であろうが別の何かであろうが、そうなる運命。ものすごい野心に加え、家とかの強力なバックアップを持ち、運まで味方につけた一握りの人たちが、大成功する。だいたい他人のことはケとも思ってないし、嘘をつくのは息をするようなもの。無敵ですね。

 

 (続く) 

 
 
 
 

 

その日メモ: 

志葉玲さん「五輪でお祭り騒ぎしている場合か。このまま人類が存続すると思っているのか。温暖化で数十年後には35億人が今住んでいる所を追われる。食料・水不足、資源の奪い合いで戦争も。シリア内戦の要因の一つも温暖化。印パ対立を見れば温暖化が核戦争をもたらす危険も。資源を生存に使うべきだ」

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