戸目子のブログ

大人になった娘が読むことを想定して書く、日常や過去の覚書き

K.Mさんとの往復書簡【6】エゴとマダム

 


黒字=K.Mさん 青字=戸目子

 

 

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かつてわたしが暮らしていたパリ郊外のシャトーは、 音楽好きな老夫婦が、主に音楽家の住人を集めて切り盛りしていました。

ムッシューは60代後半のお堅く不器用な、 情の厚い保守右翼で、 マダムは当時80代前半でパーンと弾けたリベラル系だったのもあり、 この二人は色々とチグハグな夫婦だったんですが、 二人ともとにかくむちゃくちゃ話好きだった。

とくにマダムの知性にはよく驚かされました。80過ぎてもシャカシャカと動き、外見も魅力的でカリスマ性があった。何にでも興味を持ち、動いてない在宅時はほぼ本を読んでるか喋っているか巨大スクリーンで映画を観てるか、、夏は庭でハンモックやビーチチェアに全裸で横たわり、何時間も日光浴してたり。生まれ育ったパリは好きだけど、太陽ぽかぽかの南仏に家を建てて引っ越すのが夢だと言ってましたが、数年前には実際にシャトーを撤去し南に移住したみたい。

私のことをとても好いてくれてたんですが、 彼女の英語がそこまで流暢でなかったので、 わたしたちはミステリアスな親近感で関わり合っていました。(私が仏語やれよちゅう話ですが)


下は10代から上は80代まで色んな層の人が出入りしている環境でしたが、マダムはとにかく若い人と喋りたい、エネルギーがわくし時代の変化を知りたいしとよく言っていました。

ほんと、年齢のみならず文化の差も感じさせないコミュニケーション能力 、理解の速さ、共感力なんです。時事問題、芸術一般から生活文化恋愛哲学あらゆる話に、なんのギャップも感じさせない80代ってなんなの て常に思っていました。言葉の壁があるはずなのに、その時々でこちらの言いたいポイントを秒で理解してくれる。
そして垣間見せる容赦のない辛辣さ!エゴは巨大で意思は強い。


ちなみに彼らが邦画のオススメを聞いてきたときは、代表作として『バトルロワイヤル』を巨大スクリーンで観せました。のちにパリの日本人たちに、それかなり日本のイメージダウンなのではと指摘されましたが、とりあえずなんでもこいの彼らですから普通にエンジョイしてました。はず。(ちなみに『ジョゼと虎と魚たち』は、外国の特別親しい友人には全員強制的に見せています)

マダムは若い頃しばらくCAをしていた時期があって、終戦直後の日本を訪れています。なんでも原爆後の立入禁止区域に一人でズンズン入っていったらしく、、まあ絶対そうするやろなという感じの人です。

 

あのような80代って、どんなに楽しいかと思うんです。
かなり癖のある性格でありながら好奇心旺盛で賢く、 コンスタントに色んな人と接触し、 意識や情報をアップデートし続けている。 そして彼女自身も年齢を問わず人を魅了するヒトでした。

 

 

このシャトーの夫妻のこと、今度wifeにでも書いてくれないかなあ。こういう人、いないよね?今の年寄りはさ、 年取ることに対する選択肢が少ないのよ。昔は、 女は大きくなったら専業主婦でお母さん、 みたいな枠があったのと同じように、年取ったら「年寄り枠」 に入らなきゃいけない、みたいな。で、この「年寄り枠」 はぜーんぜん楽しそうじゃあないんだよね(私にとっては、 だけど)。でも私を含めてみんな、 いろいろなヴァリエーションで年とったhappyな人を知らない から、どうやって年とればいいか、不安が大きい。 特に私の親の世代なんて見てると、ただ気の毒でね。 で、その気の毒な親を眺めながら、こうなってしまうのか、と、 ついまたここで選択の幅を自分で狭めてる。

フランス人でも同じ人間だから、 こういう人生もあることを知ると、視野がさ、 違ってくると思うのよね。実際日本人にもエゴの強い年寄り、 いるとは思うけど、ちょっと方向が違うと思うな。

 

>そして容赦のない隠れた辛辣さ!エゴは巨大で意思は強い。

 

↑ここ、これなんか想像がつかないものね。 私の今までの経験ではエゴの強い人は人の話なんか聞かない、 興味ない、というパターンでした。「エゴ」 っていう言葉もねちゃんと理解できてるか怪しいけど。

日本語で言う「我(が)」と「エゴ」は同じもの?

私は子供の頃から父親に、母親の家系は「我の強い」 人間ばかりだと言われ続けて育ち、 なるほどたしかに親戚のおばさんたちも皆そのように思えましたので、私の身体に流れる「我」の血をいかに封印するか、 に心を砕いておりました。

中学生の時に今話題の「 風と共に去りぬ」を読み、スカーレット・オハラに「なんじゃこの人は」とあきれたものです。 ところが先日話した中学時代の親友(優しそうな母を持つ純粋少女)は、スカーレットすばらしい、と。 その時はびっくりしたものです。 この純朴少女があんな悪女にあこがれるとは!と。 年喰ってから映画見ると、 まあたしかに彼女のエネルギーは魅力的だと思えます。でも、 これは親の呪いかな、 我の強さに対するブレーキみたいなものは自分の中にあるな。 ときどき忘れるけど。

 


「我」の封印に心砕くなんて、、もったいないハナシです。でも封印できたってなら、元々そこまでデカくはないのかもしれませんね?

エゴを定義すると「自我」でいいと思います。その大きさや個性が人によって全然違うというかんじですよね。
日本では自我の話はあまりされないけど、 欧米暮らしの中ではエゴという言葉は頻出しました。エゴはデカければそのコントロールが難しいんですね。自分を成長させるのも、また成長を妨げるのもエゴだったりするから、それを上手く手なずけてる人は立派だなと思います。


このマダムに関しては、 自分の夫に対してはとにかくエゴの垂れ流しでした。 夫に怒ると物は投げるわ壊すわ凄まじかったです。ムッシューが何かの失態で人に謝るようなときは、「マダムにキレられて僕は自分を失ってた」という言い訳が常套句でした。

 

 
そうかあ、日本じゃ一時「個性」がもてはやされたかな。 でもその個性ってのはエゴ(自己主張?) とはちょいとニュアンスが違ってたかもしれない。 そう言えばこの頃あまりその言葉聞かなくなった気がする。 子供を型にはめる、子供に、××しなければならない的風潮は減ってきたような気もするけど、 そのかわり人とぶつかるようなことは自ら避ける、 自己主張して対立するようなことは嫌われるようになったと思う 。
「エゴをうまく手なずける」 っていう考え方は日本にはないんと違うやろか。 エゴは一般人にはダメ。表向きはダメ。 エゴイストになれるのは権力者になってから、っていう常識かな? 子供に個性=エゴを許す風潮があった時は、子供、っていうのが家庭の中の権力者として認識されていたのかも、と思う。

エゴ垂れ流し・・・ そのムッシューさんはエゴの小さい人だったの?

昔の日本じゃあ家の中で男が好き放題で女が黙ってそれに対応するってことだったけど、昔は日本の男はエゴが大きかった? 家の中だけで男が威張り散らす、 あれもエゴが大きいってことになるのか?

 

 

エゴは生まれ持ったものだからいつの時代も人それぞれでしょうが、 それをどうコントロールするかは時代によって違ってくるんでしょうね。
威張り散らすといいますが、そのデカいエゴで威張り散らす昔の男(と現代のわたし) がそれで満足かっつったらそれは別の話ですし。 

あの二人はデカエゴカップルでした。 でもフランスじゃ女が強いに決まってます。


わたしがデートしたり付き合ったフランス人も、 全体的に皆当たり前のように下から目線でした。いや敬っていただくのはいいんやけど、 やっぱわたしはそこまで自分がアテにならないので、そこまで合わせてくれない人の方が良い。「ジュテーム、ぼくの美しいキャベツさん、 ずっと好きでいてほしい!浮気しないでいてほしい!!なんでもするからぁーー!!!!!」みたいな関係性はイヤでした。

フランスって、浮気といえば女側、みたいなところがある。でも、 男があんな低姿勢だったら浮気のひとつやふたつしたくなるというもんです。

 

そしてもちろんこのムッシューも、 190cmの巨体であるにも関わらず唯一マダム相手にはなす術なしでした。
堅物の彼が持つ"男のプライド"なんてもの、彼女の前ではヒューっとあっけなく飛び散ってましたよ。

 

 

ジュテーム!!!!!フランス行く!コロナはやくいなくなれ! ウォー、 一度でいいからそんな経験してみたいわ。・・・ といっても今どきは日本でも若者はそんなカンジかもね。 うちの息子なんかもどっちかというと女性につくすタイプだ。

その、フランス男性の、女性を好きになれる力ってすごいよね。 人を好きになる気持ちってアクティブじゃないですか。そんなアクティブな人日本じゃ少ないような気がする。日本にも仕事に対してとか真摯に向き合ってキラキラしている人はいるんだけど、これが対女性ってことになると、 その真摯さが減衰するような気が。いや、 女性側にも問題はあるんだろうけどなあ。

なんかね、そうそう、パートナーに尽くす話をするとき、 尽くす側に日本じゃエゴはないんだ。ムッシューはエゴデカい人なんだけど、マダムにだけは違うのね? 日本の女性に優しいオトコは、誰にでも優しいオトコ、かな。 エゴが小さいっつうか、立場が弱いだけ。

 

関係あるようなないような話ですが、先週、 みんなが面白いというからTVで「半沢直樹」 の総集編を観たのです。もうねえ、コテコテの昭和思想で、 吐き気するっつーか、 最後までみてなぜに皆これ見て怒らないのかとまた腹立ちました。

そういえば昔は何があってもニコニコ夫を助ける妻、ってのは理想だったような気もする。(御多分に漏れず、 私も結婚する前はそういうのにあこがれてました。カシコイ妻♡ ね。で、その次に思ったのはダンナは船乗りがいいなあと。 夢を追いかけて旅する夫を遠くで待つ♡の図。理想だなあ、と。 これって「ダンナを支える」という理想はあるんだけど、 そんなの人生振り回されてヤダ、というのがあるので、 潜在意識の中にそのようなシチュエーションは年に何日かだけでいいわ、と思ったのかなあと。・・・これはそのまま、現在の「 単身赴任バンザイ」の日本の我々世代の妻たちの思想ですね。)

今思えば、「ニコニコして夫をいつも助ける妻」ってのは、 同一目的を共有する「共同経営者的」 ポジションをイメージしてたんだろうなあ。 でもそんなこと会社勤めの夫の妻にはできるわけない。 旅館の女将だって、 共同経営者っていうポジションかどうかあやしいなあ。
そういえば思い出したけど、私の母方の祖母の妹は、当然その「 我の強さ」を、それも巨大なやつを持ってたひとなんだけど、 旅館のボンと結婚して、 そのボンが遊び歩いてばかりなのでそいつを追い出して、 自分がその旅館経営者になって、 その後自動車学校その他事業広げて社長として君臨しておりました 。私の尊敬するおばさんでしたわ(笑)

 

 

(続く)

 

 

 

その日メモ :

胃が痛い、血圧も高い、大統領選が影響してんのかわからんが、、フロリダが赤になったあたりで急激に体調崩れ (´ཀ`) 夫と暗い未来を語りつつする中、アリゾナの朗報を最後に尽きて爆睡。

夜10時くらいに起きたら、ウィスコンシン/ミシガン/ネヴァダあたりが徐々に追い上げてた!

都市部と郵便投票分(バイデン票が多いとされる) が後になってゾクゾク開票される!

 

 

とりあえずこれ見て落ち着こう

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