黒字=K.Mさん 青字=戸目子
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昔(といってもほんの50年くらい前) は日本人は結婚に愛情なんて必要なかった。でも戦後、 徐々にアメリカナイズされて恋愛結婚至上主義みたいなのになった。
恋愛して結婚、っていうのは「ゴールイン」
私は働き続けようと思ったけど、そのときに、
身体を意識したことがない、というのはそれとは別の話。
ってことで小さいころから自分の身体のことを意識したりしなかっ
今は身体というか三次元世界の感覚を取り戻すために武術の修業に
日本もアメリカナイズされて恋愛至上主義になったとおっしゃいますが、日本の伝統的な結婚観は今でも根強いと感じます。専業主婦の家庭なら、夫は仕事だけに集中して、
おっしゃる通り日本の結婚はずばり『ビジネス婚』です。
戸目子さんは結婚に何を求めているの?
わたしが結婚に求めるものは・・excitementですね。
とにかく面白い人と面白い時間を過ごしたいという夢を持ち続けた結果、今のところ最終的にこの人と相成りました。夫を目にしたら自動的にワクワクする。
なので、結婚にというよりは、彼個人に求めるものというかんじ。
わりと不安定な部分も多いんですが、わたしがこの関係性ですきなところは信頼関係ですね。相手がなにをしようが、どうなろうが、あるいは将来別れることになっても、信頼しているしお互いの人間性は疑わないよという。
例えば、よく「妻/夫が異性の友達と二人きりで食事に行ったりする」というのがダメだとかいう話を聞くんだけど、何がダメなのか全然わからない。親密な異性の友達なんて、むちゃくちゃ貴重ではないですか。
「信頼関係」と言うのが「裏切らない」「浮気しない」というような意味で使われることが多いですよね。それは信頼というよりむしろ条件では?
15年ほど前、東欧でとあるラブラブカップルと話していた時「自分たちは思ったことを隠さないことにしている、 例えば誰か他の異性を魅力的と思ったときなども」 と言っててびっくりしたことを鮮明に覚えてます。
こんなに愛し合って一緒にいるのに、他の誰かを魅力的に思う? しかもそれを言い合う?!アタマおかしい??と当時のわたしには意味不明のお話でした。 いやなんのために?!と言ってけっこう突っ込んだんだけど、要は相手を知るためにということだった。
いまなら理解できます。
信頼関係があるからこそできるんですね。 わたしも「結婚」という枠に相手を縛りつけたくないし、自分も絶対縛られたくない。(都市部はだから結婚制度そのものが消滅しつつありますね)
親子関係も同じ。同じ「信頼してるよ」でも、「なにがあってもあなたの味方」なのか「うまくやってくれるはず」では内容が全く異なる。信頼にプレッシャーを加えると台無しです。
じゃな!(岡山弁で同意の意味)
信頼関係だ!てか、相手を信頼しよう、理解しようとする姿勢だ。
信頼関係ではなく、 型に入れて縛ろうとする。 目に見えないものを確かなものにしようという努力がない。 目に見えるものがあればそれで安心。
今回のwifeに母親との友情みたいな話があったじゃないですか。「ひょえー」だ。私の母親は、私のことを理解しようなんて思ってなかったよ。(でも結局私も母親を理解しようとしていなかったというオチもあるが)
私は子供達から信頼されているか・・・なんか自信ないなあ。ちなみにつれあいからは信頼されていると思っている。つれあいのことも事男女関係については信頼している。金銭面ではやや疑っている。
あと最近すごく疑問なのは、日本では何かと男女を分けたがる。 すでに幼稚園の頃からなにかと男女を分けるし、親も園もみんな「異性」をすんげー意識してる。まるで別の生命体といわんばかりに。
なんで、仲良くなった友達が同性なら当たり前なのに、 それが異性ならストレートに「デキてる」的な扱いに飛ぶの?! なぜまだ4、5歳の幼児に偏った大人の感覚を押し付けるの?(恋はありえるけど、仲良いから恋心とは全然限らない)
大学では男女がキッチリ分かれていることに驚いたという話もよく聞くし、既婚男女はあまり交わらない。だから今もママ友は当たり前なのに対して、 パパ友はそう簡単にできる気配ナシ。
男女なんて、子供にとっては一番身近に触れられる”多様性” の原点なのに。 はなから違うものと認識させるなんてもったいない。わたしも昔は、男と関わるのは親族か恋愛相手のみ、と思い込んでいたから、あれは本当にもったいないことしたなーと思っています。
これも実に面白いねえ。でもこれは文化の差だとは思うよ。 きっと日本では同質なものがあつまって作る集団、 が社会の基礎単位だったんだろうね。 元々欧米のようにペアが単位じゃないんだよ。 だから結婚っていっても婚家の女社会に所属するというのが大きな
(続く)
その日メモ :
カッコよすぎじゃろ