戸目子のブログ

大人になった娘が読むことを想定して書く、日常や過去の覚書き

アクティビズム第一弾!杉並区民になりたい

 

怒涛の二月が終わり、三月に入ってから生活のカラーがガラッと変わりました。

ちなみに、先日まで夫ゲンさんが十日間留守にしており、ワンオペ育児生活だった戸目子は「責任感をもって生きる」という生き方にちょっとハマってしまい、それがゆるく持続しています。

また、いくつかのイベントで、図らずもたくさんのアクティビストの方たちと触れ合う機会があり、今回はそのことを少し書き残しておこうと思います。

 

 

まずはコレ!

 

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人口57万人、有権者数47万人という規模の区長選にも関わらず、わずか187票差で決着した2022年 杉並区長選挙。この選挙に立候補し現職を破った岸本聡子と彼女を草の根で支えた住民たちに密着したドキュメンタリー『映画 ◯月◯日、区長になる女。』

 

この杉並区長の岸本聡子さんについては、一年前、ゲンさんがこのBBC記事を送ってきて初めて知ったのでした。


 環境活動家である岸本さんが自転車で通勤する写真が印象的だった

 

その岸本さんの、あの奇跡の区長選を追いかけたドキュメンタリー映画があるのか!と知ったのが二月。
ポスターがカッコいい。
しかも上映はポレポレ東中野。
しかも監督とお茶会がある日もある(先着5名だけど)。

 

行ってきました。

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 この監督の佇まいにツボりました。(SNS用撮影タイム)

 

結果、ホント行って良かった。

というか杉並区に引っ越したい。
こんなメイヤーがいてくれるの、素敵やん?

 

2022年の区長選は、いつもは30%ほどの投票率を5%以上上げての当選となりました。
そして、「投票率が少し上がれば大きな変化に繋がる」ことを身をもって知った杉並区民の、後に続く区議会議員選挙では、投票率43%で区議の女性比率50%を達成。(20~30代女性の投票率が上がった)

女性議員といっても色々です。
長く自民党のじいさんたちにヨシヨシされてお行儀良く育ってきた議員さんにしたら、岸本さんは目の敵でしかないわけですが。

なんであれ、絶えず変化する社会に柔軟に対応するためには多様性が必要。
そういう柔軟性をもった杉並区はもうそれだけでカッコいいっス。

 

国際シンクタンクのNGO研究員を長く務め、選挙戦の2ヶ月前までベルギーに暮らしていた岸本さんは、まず地方自治・地道な市民運動でのみ社会は変わると主張する。
活発な住民運動の歴史をもつ杉並区の人々と相性は良い。

良いけれど、映画には対立する場面もいくつかあります。
途中、自分の存在が、住民運動ベテランの猛者たちの自己実現に利用されているような気持ちになる岸本さんの葛藤とか。
同じ方向を向いていても、ふたつ以上のパッションが共存するとこういう対立はつきものだよなぁ。

驚くのは、岸本さんはもちろん、この映画に出てくる女性たちのコミュニケーション能力の高さ!
いいなぁコミュ力高いの羨ましいなぁ₍₍ (̨̡ ‾᷄⌂‾᷅)̧̢ ₎₎
見ていて清々しいにもほどがある。


よく、日本人は人との対立を避ける傾向にあるとか、表面付き合いの多い国だと言われたものだけど、こうして自然体で正面からぶつかり、解り合い、連帯していく人たちを見ていると、一体どこでどうやってそのコミュ力を磨いてきたのか?と不思議に思う。
戸目子は対立こそたくさんしてきたが、コミュ力が特に高いわけではないので、こういう丁々発止のやりとり(with パッション!)を見るととてもインスパイアされます。愛を感じる。 
(夫とはほぼ毎日パッショネートに闘ってるというのに、進歩の見られない戸目子のコミュ力)

 

うちの子供たちがこれを興味深く見れるのはいつだろうか。
こうやって生き生きと能動的に活動する女性たちを見たら、政治=男ばかり in 黒スーツなんて刷り込みはされないんだろうな。
ちょっと羨ましい。

 

 

お茶会

そして鑑賞後、監督さんを囲んでのお茶会に参加しました。
参加者は5名限定だったけど、本当に多様なメンツだった。
この日のために夜行バスで遠くから来た人、選挙に行きたくても行けない事情のある人、サラリーウーマンの環境が自分の人格に及ぼす影響に危機感を持ちフリーランサーになった人、PTAの中から社会変革を試みる人──
政治の腐敗、セクシズム、レイシズムと闘う人たちとの会話はマジに貴重です。
だって、この国ではそういう話がふつうにできる機会すら本当に本当に少ないんだ・・・

ホント行って良かった😭

 

 

残念なこともある

参加者のひとりが監督さんの著書(自伝)を読み、好きになったと言っていたので、どれどれとすぐさま買って読んだのですが、これが戸目子にはまさかのハズレだった・・。

 

詳細は省きますが。
これを読みながら、人をファイターたらしめるものってなんだろう、?と考えていました。
ファイターといってもそんな大層なものでなくても、個人の問題は構造の問題だと気がついた上でどうすべきか考える、とかも立派なファイター精神。

例えば、この社会にはスクールカーストなるものがある。その中でたくさんの子供たちが被害を受け、この著者もそのひとり。
そこで自分なりに試行錯誤していくわけだけど、最後まで、スクールカーストという存在の是非は問わない。
ルッキズムという差別一色のこんなアホらしもんがなぜ存在して、なぜ子供たちが無意味に苦しまなくてはならないのかといった問題提起の視点がないことが気になりました。(そもそもスクールカーストというネーミングが凄まじい)
ある特定の子どもたち(著者)に負荷のかかるシステムや差別構造を問題視せず、こうして相も変わらず個人の問題として片付けていると、新たな被害者が絶えず量産されるだけなのに。

また例えば、子供の頃ブスという言葉にトラウマをもつほど苦しんだのに(苦しんだゆえ?)その言葉の是非を問うどころか、ポジティブ変換してアクロバット活用していく。むしろその柔軟性に感心する。
さらには紆余曲折あって自分に「オヤジの視点」を取り入れ、以後は更なるルッキズム思想を極め、女をモノとして見る目に磨きをかけていく──
といったことが実にサラッと書かれていて、読めば読むほど世の中が嫌いになっていくような。
これに共感できる人が多いとしたら、絶望だよ。(Amazonでは高評価)

他、ここに出てくるあらゆる問題に関して、ほぼ現状追認で止まっていたように思う。

苦しい現実を真面目に受け入れ、その苦しみから逃れたい一心で自分をそこにはめようと切磋琢磨しているうちに、大人になったら自分がその構造の一部(共犯者)になっているという悲劇。

そういう人が多数だと社会は変わらないし、それが今の日本なのではないでしょうか。


読み進めながら、そうかこの監督はファイターではなかったんだ、と気づいたのでした。
ファイターでないこと自体は、生き方なので咎められるところではないけれど、こうやって堂々たる差別の継承を本にされると、それを読んで無意味に嫌な思いをするという事故は避けられないです。

だから、バリバリのファイターである岸本さんを追っているからといって、勝手に監督のスタンスを決めてかかったのは戸目子の間違い。


ただ、これは十年前に書かれた本。それより後に書き加えられた「おわりに」では、また少し雰囲気が違っていました。
2010年代の社会変化はすさまじかったので、個々人もかなり変わった気がしますが。

 

上映後、客席の奥から小走りで舞台に上がり挨拶をしたこの監督さんの佇まいに、戸目子はむちゃくちゃ興味をもちました。

この国で「女」に求められる「笑顔」「高い声」「楚々とした/魅惑的な動き」「可愛い系/清楚系ファッション」のどれもないその姿は、この文化に意図して対抗しているように映り、かつ自然体ならではの魅力があった。
でもこの本を読んだ後は、今の彼女自身が自分についてどう思っているのかはわからない。もしかしたら「自分以外の何者か」になろうとしてまだ頑張っていて、なれないでいるのかもしれない。
どちらにしても、彼女のような人こそが、しがらみなく自由に生きられる社会であってほしい。

 

この日のことだけでお腹いっぱいになってしまったのであとは分けて書こう!(眠すぎてもう字があんま見えない)

 

 

 

その日メモ :

お口直しにせやろがいおじさん!

最近こんな投稿があってめちゃくちゃテンション上がりました。

彼の日常生活に入り込めるなんて、、夢のよう❣️
家の姿も、料理の内容も、すべて温かい・・・
ほんとすき!!!!

 

彼が結婚したときは少しズキっときましたが、お相手が素敵なかんじ!!

ずっと考えてはきたけど、戸目子では彼を幸せにできんと思う・・