戸目子のブログ

大人になった娘が読むことを想定して書く、日常や過去の覚書き

無敵のJくんとピアノ、才能について

 

前回のエントリに繋がる話だけど、長いです。

戸目子の娘の前の幼稚園の同級生のお兄ちゃんのJくん
の話。

 

現在小学3年生。
誰一人として音楽に縁がないし、音楽のオの字もわからないという家庭に生まれたJくんは、幼稚園に入ってすぐピアノに反応し、先生たちの弾く姿を見ているうちに少しずつ上達し、気がつけばいろんな曲を弾けるようになっていたらしい。
親御さんはJくんにアップライトピアノを買い与え、とりあえずと幼稚園専属のピアノの先生に通わせ始め、今も同じ先生に通い続けている。


戸目子が会って初めて演奏を聴いたのは、Jくんが年長のときでした。
けっこう複雑な幼稚園の園歌をはじめ、今習ってる曲やらを、ちょっと緊張しながらサラサラ弾いてくれました。
その頃(なぜか)先生に「ペダルはまだ早い」と言われ教わってないというのに、完璧に音楽と調和した自然な足の動き。

゚ ゚ ( Д  )  ←戸目子


すごーい!!と驚愕しました。本格的な教育を受けてるならまだしも、なぜどうして?!?

明らかに内発的ななにかを持っていて、でもまだ幼い子供だから自分も周りもわけがわからんです、という状態に見えました。

何かがすんごい奮い立った戸目子は、すぐに、自分が同じ頃に気に入って弾いていたブルグミュラーの楽譜をあげてみた。(弾けと。)

そしたらなんと楽譜がまったく読めんという。

でも次に会うと、その中から気に入った曲をパラパラ弾いている。楽譜の読めないJくんに、お母さんがそのCDを買って聞かせ、それを耳コピで練習したという。🙊
他にも、クラシックに限らず好きな曲を楽しく弾いていて、戸目子が同じ曲をちょろちょろ弾くととても喜んでくれた。

一年生になってショパンが好きになったという頃には、幻想即興曲とかを遊び弾きしていた。(でもさすがに左手6音・右手8音の仕組みを完全には把握しきれておらず、彼の耳が人間メイドであることがわかって少し安堵。アップテンポでペダルの多い曲は耳コピにも限界がある。)

 

その後コロナでしばらく会わなくなり、なんだかんだしているうちに、なんともうすぐ引っ越してしまうというではないか。

(´༎ຶོρ༎ຶོ`)  

先日久しぶりに会ったJくんは、子犬のワルツなどを相変わらず耳コピで弾いていた。
以前より更に指もしっかりしてきて、音もきれい。

でいつになったら楽譜読むんだろ..?

 

聞くと、Jくんのピアノの先生は相変わらず指の動かし方などを教えているという。

戸目子はレッスンに同席したことないので何もハッキリとは言えないけど、でもそれって、幼いウサイン・ボルトにひたすら上手な歩き方を教えるようなものでは? あるいは、幼い与謝野晶子にきれいなひらがなの書き方ばかり教えてるようなものだ。(ハッキリ)

Jくんのような子は、テクニックは教わるものではなく、必要に応じて自然にどんどん身につけていくはず。
今の彼には、音楽性の面と知識の面で「できるだけ多くの選択肢」を目の前に提示して、彼のワクワクポイントの幅を広げてあげることが一番大事なサポートだと思う。

幼くしてこれだけピアノが好きで、好きが高じて耳がひたすら肥え続け、一人ででもどんどん学習してきたその蓄積は一生の宝だろうし、これからも勝手にコツコツ探求していくんだろう。
プロを目指すかどうかは別として、そんなJくんの将来を見越し、なにが彼のためになるかと考えたとき「楽譜を読む力」などは最優先事項のひとつだと思う。バリバリと活躍するピアニストでさえ、初見力(初めての譜を見ながら弾ける力)のなさを嘆く人は少なくない。初見力というのは、問答無用で "ある" に越したことはなく、それは子供の頃にこなした譜読み量がダイレクトに影響する。(ちなみに戸目子も耳コピに頼りがちだったので、今でも初見は苦手。)
Jくんにとって譜読みのトレーニングは、単にピアノを弾くことほど楽しくはないかもしれない。でもだからこそ、レッスン時間という限定的かつ拘束力のある空間は、それを効率良く学べるチャンスだと思うのだけど。



これまで、戸目子が教えられたらなあ、と思うことも何度もありました。
でも、Jくんの弟と戸目子の娘は同級生であり、Jママと戸目子はママ友という初めから出来上がった関係性で、かつ戸目子の異常な怠惰さ(←これ)が重なって、どうしてもうまく関係性を切り替えられる気がせず、たまにちまちまと助言をするにとどめてきた。
それでさえ、どこまでしゃしゃり出ていいのか、どこからが余計なお節介なのかとか雑念が交錯して、毎回(あ〜もったいない!)と思いながら、自分がなんの力にもなれないことを歯がゆく思ってきました。

 

 

"才能" の正体

「もったいない」という言葉はよく聞くけれど──。
たぶん、多くの人が大変な努力をして得るようなことを、自然に、葛藤なくできてしまうことを才能と呼ぶんだろう。
ただの一面的な "個人差" かもしれないし、そのレア度が高ければ「傑出した才能」といわれる。
世にいう才能は、他者との比較の中におけるただの指標ともいえる。
だって例えば、子供がわずか3年とかで母国語を流暢に話すのって、よう考えたらものすごい高度なことをしてるわけだけど「この子には語学の才能がある!」とはならない。大多数の子供が自然にできるから。
それと同じように、「できる人」からしたら、どんなに周りが「もったいない」と叫んでも、本人にとってはそれが普通のことなんだから余計なお世話だったりする。

 

また、 "才能" というのが、生まれ持ったものだけでなく、自分次第であとからいくらでも構築できるものでもあると提言するような大人はかなり少ないように思う。「努力は裏切らない」とか根性論とかで、若いエネルギーを無駄に消費させる大人はたくさんいるけど。

生まれ持った "才能" に恵まれた者は特別で、それを活かすのが務めだ、というのが、戸目子にはとてつもなく「つまらなく」思えたけど、社会や教育のシステムがそういう作りになっているし、大人たちが口を揃えて言うんだからそうなんだろうと思っていた。
でも当然ながら、そんなものは人間社会が作り上げた「幻想」に過ぎなかった。人間って、才能とか生まれとか天才とか、絶対的な権威が好きすぎるんですね。

今なら、生まれ持たなかった "才能" を構築することだって大いに可能だ、と断言できる。
それを成し遂げた人たちを見ていると、これこそが子供たちに伝えたい「生きる希望」だよなぁと、しみじみ思います。

 

 

話が脱線しましたが。
それでも、Jくんのように、"無我夢中になってしまうもの" と "レア度の高い才能" が偶然にも一致したとき、人は無敵だと思います。
でも皮肉なことに、今の世の中には、そういう人たちが一般社会で目いっぱい「わがままに」生きていける仕組みがあまり用意されていません。「自己責任万歳」の日本社会なんて特に。

そんな中で、その子自身がある程度 "鈍感" で、周りを気にせずにのびのびとやれるなら良いけれど、「自分が人と違う」ことが引き金になって、いったん自分の存在をネガティブに捉えだしてしまったら、歯止めがきかなくなる部分があるように思います。

Jくんもまた、「なんかよくわからないけど、ここじゃない」という、自分がうまく属せないこの社会に押し込められて、苦しい思いをしているんだろうと思う。
エラ呼吸が得意なのに、陸に住んでるような。

 

 

戸目子も、教育者目線で見たとき、Jくんのようなレアな人物を前にすると少々おののいてしまう。

どうしよう、この子、並外れた才能持ってるだけじゃなく、すんごいピアノが好きじゃん。こんな人物、歴史上にデータが少なすぎて(あっても皆アウトライアーだから参考にならん)どうしたらいいかわからんじゃん!

わからんけど、とにかくクラシック道のスタンダード的にちゃんと導かれてないかんじだけはわかる。。
...でも、逆にそういう道を歩まない方が良いんじゃないか? 彼をレッドオーシャン(スタンダードな競争社会)に放り込むことで、彼のユニークさやパッションを削いでしまうんではないか? でも高いレベルの同志たちがいればそれが良い刺激になるかもしれんし── どちらにしろ、とにかく楽譜は読めてほしいような... 

と、戸目子はJくんに会うたびひとしきり一人で思い悩んでは、 スッタカ逃げて終わってきた。

 

でもJくんは引っ越してしまう。
だからこの機会を利用して、余裕ができたときに十人でも百人でも、新しい地で一人でも多くの先生にお試しでレッスンを受けてみてはどうかと提案しておきました。
数打てば、もしかしたら良い出会いがあるかもしれない。使えるものは使い倒す、という心意気で!(ここが遠慮がちなファミリーなのです)

 

 

個人的な願い

戸目子から見て、Jくんには特に恵まれているものが3つあります。

ひとつは彼のパーソナリティ。
かなりナイスな性格で、接する誰もが心穏やかになるオーラを持っている少年。(うちの夫まで癒されてます)
音楽だけじゃなく、色んな物事に興味関心を持っていて、話していてかなり楽しいのです。戸目子の与太話にも優しく耳を傾けてくれるし。
そして、なんか大量のアルミホイルをガチガチに固めたやつを磨き上げて肌身離さず持ち歩いてたり、家にあるもの(ゴミ)で予期せぬ物体を作り上げてたり、ブラックホールの虜になってたり、こないだは宇宙のあれこれについて話そうと楽しみにして会ったら今はダチョウに夢中らしいし。(この国には、ダチョウ王国というものがあってダチョウが見放題らしく、ダチョウファンには堪らんらしい。)

ふたつめはご両親。
音楽のことが全然わからないと悩みながらも、なんだかんだJくんがのびのびとピアノを楽しめる環境を整えてなさる。
親が音楽にやたら詳しかったり、クラシック界に特別な想い入れを持ってたりすると理想ばかり高くなり、子供は息苦しい。
現時点での実力面ではそういったスパルタっ子には敵わずとも、最も貴重な「ピアノが大好き」を失わないでいられるのは、このご両親の在り方が大きく影響していると思っています。

みっつめは彼が男の子であること。
これは大きな特権です。本人さえやる気を見せれば、周りの人たちだけでなく、システム全体がバックアップしてくれる。もちろん例外は色々あるけど、少なくとも今の社会はそうできています。
だから遠慮せず、使えるものは使い倒すという勢いで羽ばたいてほしい。
本格的にやるでも趣味を極めるにしても、Jくんにとってピアノが、彼の人生において大きな大きな支えになること間違いなしだから。。

 

 

 

 

 

その日メモ :

戸目子渾身の力作を書いたあとになんだけど、
夫が、日に日に「昔読んだ漫画の一コマの顔」に似てきてて、どうしてもそのコマをもう一度見たくなった。

'94年頃のもので廃盤らしく、先日ヤフオクで見つけてとうとう入手した!

 

その名も『スーパーマリオ 4コマ漫画王国6』

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まさにこれ↑

 

30年ぶりにまた読めるとは!
そして長年記憶にこびりついていたこのマリオが、未来の配偶者の姿であったとは...!

色々と感慨深い。