戸目子のブログ

大人になった娘が読むことを想定して書く、日常や過去の覚書き

K.Mさんとの往復書簡【2】質問①と③への回答

 

前回の【1】で戸目子がK.Mさんへ宛てた書簡に対する、K.Mさんからの返答です。
この間メールのやりとりが二転三転したため、途中戸目子の文章を青色で差し入れています。というかだんだん対話形式になってます。

 

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戸目子さま


質問①:なぜそんなにあらゆる人のあらゆる意見に興味を持つのか
質問②: 岡村発言に対する種々のコメント始め、有害な意見に対 して何でそんなに平静を保っているのか・。
質問③:それら多様な意見を見聞きすることの目的やゴールはなに か


ってとこでしょうか。
と、ここで1問目を答えればいいんですが、 ちょっと前置きみた いな話を。 


本日上野千鶴子氏がある団体のzoom講演会に登壇したので、2時間ほど話を聞きました。 コロナ問題で日本の社会の問題があぶ りだされる中で、 このような状態になっているのは意志決定権を 持つ位置に女性が少ない事が問題である、と。


40代くらいの社会のリーダー層の女性向けの講演だったので、上野さんが後輩たちにもっと闘え、 とハッパをかけるという体の話でした。励ましてもらえたことで、  彼女たちは元気になったようではあるのだけど、 彼女の言葉がそのまますっと解になった、 というわけではないようでした。


私は以前、上野氏のtwitter?での「女性の地位向上のために、 社会を変えるために一生懸命走ってきたのに、 ふと後ろを振り返ると誰もついてきていなかった」 という旨の発言をみて 、実に親近感を持ったのでした。 彼女のその言葉に焦り、 っていうか挫折感のようなものを感じて、 オオ、 上野千鶴子でも弱音を吐くのだ、と。 それでも上野氏は闘士なので彼女の流儀で闘い続けているのだけれども、 そして私も社会の中で声を上げてきたのだけれども、 このやり方は本当に正しかったのか。 日本のフェミニズムは成功しているのか、このままでいいのか、 が私の疑問としてあるわけです。 学者はデータを見て判断するという。 ならば日本のジェンダーギャップ指数が121位、 先進国最低という事実は真摯に受け止めね ばならんでしょう。


これは日本の男が悪いのか? 頭の固い男どもに上野千鶴子をはじ めとするフェミニストが惨敗したということ?

これは私自身の問題でもあるわけです。私は20歳すぎから約40年、男に「女も男と同じ人間だ」と認識させようと思って、職場やその他の活動に関わってきましたが、今この状況というのは確かに変化したところもあるけれど、決して諸手を挙げて万歳、 という状況ではない。むしろ、「もしかしてなんも変わってない? 」思うことも。私は一体何をやってきたのかと自問自答するわけで す。 今までのやり方が失敗ならばやり方を変えなければならない だろう。 どうやって?そのためには現状分析が必要。 ということで、Wife(投稿誌)※ の活動につながっていくわけです。


 ※投稿誌わいふ(現在はWife)は50年以上前、「女の幸せは結婚と育児」と信じられていた頃に、「自分たちも考える人間なんだ」と発信するために、宝塚市の団地の主婦が、わら半紙にガリ版刷りで発行した投稿誌です。その後、編集部は東京に移り、田中 喜美子さんが多くの女性の声を集めて発行を続け、編集長を変えて今に続いています。今年で発刊から57年。市井の女性の声が集まった雑誌です。


私がWifeに集まるいろんな声に私が興味を持つのは、「そこに そういう人がいる」 ということが事実だから、という点がある。  環境が違えば考えることも変わってくる事が、文章の細部から見えてくるんです。もともと好奇心は旺盛なんだけど好奇心が旺盛だけならほかの媒体でもいくらでも知ることができる。でも特殊な思想の人たちの意見を聞こうとするのは、そういう文の中の「言葉」 が持つ力やエネルギーの大きさに惹かれているのだと思いますね。 それが、Wifeでよく言う「ホンネ」ってやつです。確かに、これは。。。と思うようなつまらんものの考え方、 偏った見方もある。でもそれがそこにあることは事実で、 ホンネの言葉にはその裏側の生活や人生が透けて見えると思うのですね。 それが魅力かな。


 私が働いてきた会社にも、組織の中ではホントにダメな男がたくさんいる。 でも組織の中ではコイツクソや、死んでしまえ、と思うような人でも、仕事を離れて話をすると面白いことがある。  男の、いや、日本の男の人にとっては「組織」って何より大事なんだと思うわ。組織の中での自分の立ち位置を死守することが彼らにとっては生きることでそれを離れて生きることは考えられない(っつたって、定年になりゃ会社とはおさらばなのだけど)。そしてその組織で持つ者になり、それを守りに入ると、 周りが見えなくなるというか、 人はつまらん行動をするつまらん奴になるんだわ 。だから私の職場の人々のクソ発言の裏には、クソが生まれる理由 があって、本人が生まれたときからクソの塊ってわけではなかった と思うのだな。 


戸 : (中略) それはK.Mさんの周りがウンコレベルだったということでは?
それを思うと、 そのウンコみたいな男たちの中でやっていかなければならなかったのは、 大変とかいうレベルではなかったでしょう。

でもどんなに面白く、人が良かったり気前よく振る舞う面を持っていても、組織に入るとドクズになるならクズですやん。
その、オトコは組織社会に入るとこうなるから仕方ない、 という 視点、必要ですかね?仮に大部分がそうであっても、 事実を分析したなら、それをもって断固NOと表明はしないのでしょうか。( これは質問②に繋がります。)
それでもって彼らの「興味深い部分」やら「本音」 やらを楽しむというのは全面的に理解できるんですが、 なんとなく、 良からぬ事実を ”that’s how it is.” そんなもの、としてしまうのは、その良からぬ事実を後押ししてしまうことにならないでしょうか。
といってもK.Mさんは職場では幾度となくNOを突きつけてきた んだろうと思いますが。

 

 この件はそのとおりで、 私の周りはまさにウンコ塗れでございましたとも! でも男がうんこ塗れでじゃあ女はどうかっていうと そこも同じようなもの。 どんなに周りが腐敗してもクズでないヤツはいる? かなしいかな 私は「組織の中」ではクズじゃないようにふるまう人に会ったこと がない。いや、 いたかもしれないけどそういう人は早々にいなく なりました。 そして、私にも生活があるのでその組織から出るこ とは選択肢としてなかったわけです。 進んでウンコまみれになっていた(笑)


 戸:では、K.Mさんも組織内にいたときはクズだったというこ とでしょうか?


 半分正解。 私はクズとしてふるまわなかったので出世できなか った。 でも組織の中で生き続けることができた。 それは私が女 だったからです。 男だったらいくら能力があってもクズとしてふ るまわない人ははじき出されます。 女には元から出世の道はないので、 クズにとって敵にはなりえな いのですね。 しかもそこそこ仕事ができれば、 ハエがブンブン ウルサイ程度のものです。 でも男は自分を非難する人間を放置していたら、 自分の立場を脅かされますからね、容赦ないです。  マムシは駆除されるわけです。

 

 私は若い頃は「私がこの世の中を、会社を変える」 と思ったわけです。いや、言いたいことを言うことで世の中は変わる、 と信じてきた。 その結果が今の現状です。 もちろん変わったところもある。 でも根本は変わっていない。 これはねえ、挫折ですよ、 


戸 : これはK.Mさん個人の挫折というより、 システムの挫 折なんでしょうね。


 そうです。 直接対決は完敗。だから他の角度から眺めてこの役に立たないシステムを変えていく手段を探しているんです。私に怪物を倒す力がないのはどうしてなのか。 武器が足りないのか、 装備か力の強さか魔法の力か。
もしかしたら日本以外では効果的な方法も日本では有効に作用しないのかもしれない。「わいふ」「Wife」に関わり続けてだんだんそれに気付いてきました。

長年わいふを主催してきた田中喜美子さんは、今でもお元気ですが、  バンバン議論をふっかける人でした。 その小気味よさにずいぶんと惹かれたものですが、 でもわいふの読者との間の、妙なずれを感じるようになったのです。
私も以前はWifeに掲載される意見に関してバンバン反論をふっかけておりました。でも反論したら、相手が黙る。 そこから先に何も進まない。 Aが正しくてBが間違っている、という主張だけでは平行線でその先がないんです。少なくとも日本では。
だから、私がWifeに書いて、 というのはとにかく「黙らないで」という意味なのです。 どんな変な意見でも、その人の人生の中から出た言葉ならば、 それには理由があるはず。活字になったその言葉を書読むことで書いた本人が客観的に自分の人生を眺めることになれば、考えかたが深まるかも知れない。でも特に今は、 みんな、 批判されることを怖れる世の中になってると思う。 SNS上などでやりあうことができるのはほんの少数で、大多数はあんな世界には近寄りたくないと思っている。 

私はこの、「 あんな世界に近寄りたくない」 と思っている人たちに、思っていることを書いてもらいたいわけです。 そうでないとみんな上辺だ けでウソついてそれでやりすごすでしょ?「人種差別はイケナイ」 「 女性も男と同じように働いて社会で活躍するのは当然」 etc… 世の中には正解の言葉があって、 それを表明しておけばそれでいい、と。 そしてそういう人は言っていることと反対のやり方で子供を育て、 社会に関わる。子供はそれを見て育つ。  これではいつまでたっても社会は変わらない。 

多くの立場の人が それぞれの立場から自分の想いを書いてくれたら、それが議論という形をとらなくても、 気づきになるのじゃないか 。 そう思うのでどんな意見も正面から批判しないように努めてます。 


戸:なぜ、「人種差別はイケナイ」「 男女平等」 等と表明してるのに、 言ってることと反対のやり方で子供を育てるのですか?


 日本の習慣では、 嘘をつくことが悪い事とされていないからだと思ってます。

以前、 英会話でNZ人の先生と話をしていて彼が怒るのは、 どうして日本人は悪いと思っていないのに謝るのか、 ということでした。  彼の庭に突っ込んできて垣根を傷めつける人がいて、 その人はそのつど「スミマセン」と謝るけれど、 何度も同じ事を繰り返すのだそうです。 政治家の謝罪もPCにはなっていない。

皆、 タテマエは「 男女平等」とか言うけれど、そう思っていない。  これでは何も変わらない、というのが私の認識です。 でも確かに最近はタテマエすら怪しくなりつつある、 というのはわかる。  ここに日本の社会の変化があると思うのですね。 昔はタテマエを言う余裕があったけど、その余裕がなくなった、 ということがと睨んでます。

嘘をつく、もしくは特に何も考えずに隣の人と同じ意見です、 と言っておけばいい社会で、 どうやって認識を変えていくというか 、「ホントに住みたい世の中ってどんな世の中でしょうね。 今は、 日本人だ、っていう人だけで暮らせばいいやって言ってると滅亡しますよ、 それでもいいの?」 とかいう話をするためにはみんなにもっと世界を知ってもらう必要がある。 

ところが世の中の動きは反対で、みんな内向き志向になっている。 世の中の仕組みが「似た者同士がグループ形成する」 ようになっていて、その規則に従っていれば快適。 グループが分断されて壁ができて、壁の外の人生を想像する機会もないし、余裕もない。むしろメディアも今の枠組みからこぼれないようにしなければ、価値のない生き方しか残されてないみたいに煽 る。特に子供の教育なんて、いいカモでしょう。 危機感を与えた方が、色々なものが売れる。

ここではタテマエなんて言ってる余裕はないのよ。均質グループからこぼれないことが一番大切になる。そんな均質な価値観の中で、LGBTとか障がい者とか高齢者とか、自分とは違うグループの人たちの気持ちを考えろとかいわれても他人事だしハッキリ言ってわからないでしょう。接触がないのだから。わからないけどでも「差別はいけない」とかとりあえず正解を口にしておけばいい。っていうか正解を口にしないと面倒なことになるから言わない。わからなくても正解とされる言葉を口にすれば波風が立たない。日本ではそれは「嘘をつく」とはいわない。個人の思想や行動とは関係なく正解を口にする事だけが求められる。 パワハラする上司がパワハラ防止の講習を平然とする、 それが問題にもならないというコミカルな出来事が、私の職場でもありました。

今、アメリカで起こっていること、黒人差別に対する怒り、これを日本人がいかほど理解しているだろうか。 みんな日本の中では起こりえないと思っていると思うな。でも日本の中にだって差別はある。でも当事者ではないので表面で「人種差別反対」と、 アンケートに〇を書く程度のノリで言っておけば、それが正解だからそれでいい。 でもこれから日本はさらにどんどん多様化して行く。日本人マジョリティのグループが、今のアメリカの白人のように被差別者と同じパイを食い合うことになる。 その時にどうやって生きるか。それを考えるためにはグループの垣根を超えて、本当の意見を思いを語り合う場所が必要なんじゃない かと思う。

Wifeは、女性、しかもやや高齢者という偏った集団ではあるのだけど、そこで本音を表現して考える場所を確保したい 。それに加えてwebでもっと広い年齢層、階層の意見が集まる場所を作りたい。そう思ってます。
Womenslife21(http://womenslife21.net)、まだこれからですけど。ここで岡村発言を取り上げたのはそのためのひとつのチャレンジです。(※このサイトの『岡村発言とその反応について考えてみる』というK.Mさんの書かれたエントリで、戸目子も "カリー粉" の名でコメントしています。)


 上野千鶴子は素晴らしいと思います。 コロナでも医療関係者と言ってもアシスタント的な人への差別、 介護従事者への差別、  それが男女差別と根っこが同じであることを見抜いてました。 誰でもわかることと思いますが、それを公言する人はいない。 ここ に間違いがある、と誰かが指摘するのはとても大切なことです。 でも、これは、上野千鶴子だから許されることかもしれない。 そして、その言葉は「どうせ上野千鶴子の言うことだから」 になって、 ほおっておかれる。 あの人の言うことは正論なのだけど、 正論を世の中に沁みわたらせるための仕掛けが必要なのかもしれない。 そのための試行錯誤をやってみたいと思っているのです。