戸目子のブログ

大人になった娘が読むことを想定して書く、日常や過去の覚書き

若いうちに知れて良かった!!でも活かせてはないデータ

 

戸目子には数年間にわたり、お互い国を転々としながら毎週決まった時間にSkype電話し、近況や社会問題や発見した面白データなどを報告し合ってはくそ真面目に議論するというヲタヲタしたオタ仲間がいたのですが、

その友人がある日、
90歳以上の高齢者(ヨーロッパ在住者)を対象にした
"人生でもっと大切にしておきたかったもの
/早く気づきたかったものTOP5" 
という大規模調査データを教えてくれました。

TOP5‼︎ 的なものに飛びつくなんて若かったな.. と思いますが、このネタは今でもたま〜に頭をよぎっては(全然応用できてないな)と反省しています。

ちなみに、戸目子は基本的に、高齢者(年長者)から一方的にいただくアドバイスは不要だと考えています。
生きる時代や価値観が違うからというよりは、
歳をとると「若者に説教したりアドバイスしたりすることで、我がミゼラブルな人生をちょっと正当化できる」とか、無自覚な自己満足が理由である場合が多くみられるからです。

でもこの調査は、90年以上という長い年月を生きてきて「名残惜しく思っている/後悔していること」についての匿名回答。
そんなんを20代で知れるなんて、なんてラッキーな自分ら!!と二人で喜び合ってました。

 

では、記憶にあるまま書いていきます



 1 : Love

愛です。
TOP5の順序は忘れたけど、このラブが断トツ一位だったのは確かです。
それもいわゆる恋愛的な文脈での愛ではなく、人類愛のほう。
大切な人だけじゃなく、会う人一人ひとりに対してもっと愛を持って接すればよかった、という話でした。

戸目子もねぇ、これはホント課題です。
子供を持ってから少し発想の転換ができるようにはなりました。
例えば、どんなヤバイ人間を前にしても「もしこの人が我が子なら」という視点を持つと、そう簡単にジャッジはできないものです。

ただ、ここでいう愛というのは「自分なら」「自分の子供なら」という自分中心な発想を超えた、「ただすべてを愛せばよかった」というシンプルなものかもしれません。

 

 

 2 : Awareness

これは「認識する」とか「自覚的であること」のような意味で、ピッタリくる日本語が出てこないけど、最近は日本でもアウェアネスという横文字をよく見かけるようになりました。

今やっていることに意識的であること。
例えば、お風呂に入ってるときは他ごとを考えず、「自分は今お風呂に入っている」状態をしっかり感じるべきだった、みたいな話。
また、人はけっこう "今現在" を疎かにして、過去や未来にばかり思いを馳せているらしい。

これに関しても戸目子は日々反省があります。
過ぎ去ってゆく時間がもったいなく感じて、皿洗いしてる時にラジオ聞こ!とか、娘とポケモンバトルしてるついでに音楽聴こ!とかなる。
でも結局マルチタスクはマルチタスクでしかなく、シングルタスクに比べて充実感はかなり薄い。
皿洗いの時は皿を洗う感触をじっくり楽しんだり、ラジオや動画は全集中して聞いたり、雑念なしで音楽を聴いたり、死ぬほど退屈でも娘と徹底バトルしていた方が生きている実感が伴う。何より、マルチタスクだと記憶に残りづらい!

と、わかってはいるものの。
今を生きる、というのはけっこうエネルギーが要るのかもしれません。

あと、歯磨きしてる時にものすごいアイディアが浮かぶ、みたいなことはよくあるので、一概に「歯磨きの感触を全身全霊で感じる」ばかりが良しってわけではないやろけど。

 

 

 3 : Reflection

「もっとしっかり考えるべきだった」。

awarenessの延長とも言えますが、反応的/反射的に生きるのではなく、自分の言動や選択について、時間をかけて問い、深く掘り下げて考えるべきだったという話。

これは、昔から自由時間がたっぷりある戸目子にとっては、後悔はあまりなさそうです。

内省する・そのための時間を設ける 両方が重要なので、追われるような毎日を送る人、あるいは権力者などイエスマンに囲まれることが避けられない人にとってはハードルが高いと思います。

 

 

 4 : Courage 

勇気。

人生は一度きりなんだから、みたいなのはよく聞きますが、やはり大多数の人にとって、何かするのに勇気がなくて踏み出せなかった一歩はたくさんあるみたい。

「失敗は怖いけど、あとで後悔しないように挑戦する」とかいうレベルを超えて、バンバン数を打ちまくることで得られる自信というのは強靭だなと、そういう人を見てて思います。
不安の強い人でも、怠惰な人でも、この分野ならバンバンいける!という何かが一つでも見つけられたら幸運だと思います。

 

 

 5 : Legacy 

人は、自分が生きた証を残したがる、ようです。

人によって、それは権威だったり芸術作品だったり子供であったり。
自分の名前がどこかに刻まれる、とかも。

ここらへん戸目子は今も昔もピンとこないので、とりあえず歳をとってみてから悔いようと思います。

でも、なんかそのレガシーが大きいほど死ぬ(別れる)のが名残惜しくなるような気がしますが、それはまた別なんだろうか。

 

もしかしたら、こうやって書き物を公開するという行為もレガシー欲なのか?
将来娘に読んでもらうため、とはいえ、その目的がなくてもいずれ何かしらの形で書いているような気はする。

...でもやっぱり、これが自分の死後残るかどうかは本格的にどうでもいいしなぁ。

 

ちょっと周りの人たちに、どんな証を残したいか聞いてみようと思うのでよろしく。

 

 

 

 

その日メモ :

複数の女優による、映画監督への性被害告発により、とうとう日本映画界にも#MeTooがやってきたようだ。

 

『愛のむきだし』や『冷たい熱帯魚』など、園子温監督の作品は、昔からものすごく好きです。
彼の自伝『非道に生きる』もかなり面白い。

 

 

映画作品のスタイルや著書を読めば、彼がかなりヤバイ人間であることは明らか。

だけど、リアル他者に対してそのヤバさを抑制するという当然の理性を放棄していたとは.... 

 

権力者をヨイショする社会にありがちで有害なもののひとつに、「この人は天才だから○○」と、本来なら欠陥として非難されることを免責してしまう周りの人たちの存在がある。

当人はそうやって特別扱いされるうちに「自分は特別だから許される」が普通になり、助長され、麻痺していく。
忘れてはならないのは、そうやって権力者をアゲアゲする人たちというのは、いざ自分が権力を手にするとそれを乱用する。

 

園子温や榊英雄については、やりたい放題の幼児がそのまま大きくなって運良く権威を手にしてから、肥大した万能感で欲望や支配欲を「自分にとってただの記号でしかない女たち」になすりつけまくるバカなので嫌悪感しかないが、木下ほうかに至っては、被害者の告発内容が事実だとすると、異常なサイコパス感を感じて震えた。
こいつ、人の心がないな、と。

 

興味深かったのは、一連の報道に対する有名監督らのコメント。

井筒和幸
『日本映画の業界全体が色眼鏡で見られてしまうことが問題。監督はみんなこんなことしてるんちゃうか、と思われるのは心外だ。』

是枝裕和
『加害行為は、最近になって増えたわけではなく、残念ながらはるか以前から繰り返されてきた。被害を受けた多くの方がこの業界に失望し、去っていった事実を、私たちは重く受け止めるべきではないでしょうか。』(一部抜粋)

 

どちらのコメントが権力寄りか、そしてどちらの監督が現状を変える力を持てるかは一目瞭然。

 

社会があれば権力者が出てくる。
権力者=人格者ではない。
権力者がその権力を悪用しないようにするには、システムを変えるしかない。
こんな基本的なことを、被害者たちが身の危険を覚悟して告発するまで放置される世界は病んでる。
映画界はその一部にしかすぎない。
一刻も早く、パワハラで搾取される人がいないのが当たり前の世界になりますように。

 

 

 

 

 

 

 

 

癒しぐらしの反動──すみっコぐらしを終えて

 

先日、突然娘がすみっコぐらしファンを辞める宣言をしてきました。

家族そろってすみっコに詳しくなり、グッズや本に課金し続けること一年強。子供の切替えの早さに親はまだついていけてません。

 

すみっコぐらしというのはホント傑作でした。(戸目子はまだ入信中)
そのほんわかした見た目の可愛さはもちろん、それぞれのキャラクターにはアイデンティティ・クライシス系の悩みがあって、みんな陰キャで言葉も最小限(てかほぼ喋らない)、まさにどこをとっても、この日本国でしか誕生し得ない稀有な作品だと思います。

 

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手のりぬいぐるみは超絶かわいいし


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すみっコの着ぐるみはずっと着れるサイズを買った

 

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こんなんが家の至る所にあって、癒しでしかなかった

 

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映画も公開日を指折り数えて行ったなぁ..
(戸目子は睡眠)

 

と、たまに過去の写真をしみじみ見つめながら思い出に浸っています。

そしてクライマックスはサンタさんからのプレゼント、のはずでしたが。

こちら、すごろくで日本旅行しながら、3種類のゲームで遊べます。すごい良いです。

これを機に日本に詳しくなってほしい、
可愛いすみっコたちと、家族で楽しくゲームしながら、日本の都道府県や県庁所在地や各地の名産品とかを学んでほしい!(一緒に学びたい!)

──という親の願い虚しく、包みを開けるなり「アニアの水族館セット」が欲しいのに、サンタはわかってくれなかった!と号泣され(思えばこの時からすみっコ愛に陰りが)、

気を取り直して箱を開けたはいいが、付属品のルーレットをレバーで回し続けること2時間、、

 

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 ↑これをひたすら回し続ける

次の日もその次の日もルーレットを延々と回し続ける娘。(かなり元は取れた気がしたけど)

数日後、やっとゲームする気になったか!と思ったら、順番決めのジャンケンに負けたことで大癇癪、、

商品本来の目的に全く辿り着けねぇ...

 

そんな時にあっさりと卒業した娘。
残されたのは、すみっコのスリッパを履き、すみっコのお風呂スポンジを毎日使う父。

 


ちなみに卒業の決定打となったのは、お隣の子供たちに教えてもらったSwitchの無料ポケモンゲームでした。

最初はただの無料ゲームとナメてたけど、そこから娘とポケモンの世界がバッチンと噛み合って、ものすごい速さでのめり込んでいきました。
無料の怖さよ。

 

以来Netflixももちろん全部ポケモン鑑賞。

で主に毎日なにをしてるかというと、、

お年玉でモンコレというポケモンフィギュアを買い集め、それらをひたすら闘わせるという、
なんかもうすみっコぐらしの世界観と真逆すぎて親としてはショックが大きい。
家の雰囲気も変わってしまった。

 

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 この直径4cmの変なカタマリが五百円...

 

なんかポケモンのキャラクターってどれも意味がわからんというか、テキトーにデザインしたとしか思えんルックス(と名前)に昔から違和感がある。

まあでもかなりのロングランで、一時は世界中を虜にしたポケモンのことだし、何か特別な魅力があるんだろうけど。

 

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きもち悪いやつもおる

 

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近くでみると不快感のみ

 

最近はもっぱらこれらのフィギュアを両手に持って、すごい効果音つけながら数時間戦わせています。お風呂にも持ってくるので、たまに親も強制参加になるんだけど、これがもう凄まじい退屈さ...

 

とドン引きの戸目子をよそに、定期的にイオンに通い、新しいフィギュアを調達する娘。
お年玉がなくなるまで続くのかも。

 

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モンコレコーナーでは外の世界を遮断する

 

 

 

 

その日メモ :

インターに通い始めて約一年、着実に抜けていく娘の日本語に少し寂しさを感じ始めた戸目子は、彼女をくもんの体験授業に連れて行きました。

いやぁ〜戸目子自身は塾断固反対派の家で育ち、塾というもの一切に無縁だったのもあり、色々と抵抗があったり発見があったりで面白いです。

偶然、2月はくもんの体験授業がまるまるできる月というので、2つの教室を体験。
もっといくつか見学したかったけど、娘が最初に行った教室に行く気満々になったので、そこに決めました。

 

娘には将来的に、日本語を流暢には喋れなくとも、読む力をつけてほしいという思いがあります。多言語での読書は世界観を2倍3倍にしてくれます。
それに何より、この戸目子ブログは基本的に未来の彼女に向けて書いているので、いつかこれを読めてくれたらいいなぁという願いがあります。

まあそれでも楽しく続けることが最優先なので、字をきれいに書くことや書き順などは気にしないでほしい、と先生にお願いしてたけど、約一ヶ月で自然と書き順が正しくなってきてるのでびっくり。

先生はむちゃくちゃ物腰の柔らかな方で、こちらの要望も柔軟に受け入れてくれ、今のところ娘は嬉々として通っています。

また、緘黙症があって(現在大学病院に通院中)不安や緊張があったりこだわりが強かったり、戸目子に耳打ちしながら先生とコミュニケーションをとる、という状況なんだけど、とても理解のある方で、気にせずどんどん娘に話しかけてくれるので、親としても楽だしとてもありがたいです。

 

それにしても、一緒に勉強するなかで娘がどんな言葉を知ってる/知らないのかがわかって面白い。

一々、この単語は知ってるか?と確認しながら進めてるんだけど、
「こんにゃくって知ってる?」
「うん!ほんやくこんにゃくだよ!」
「そうそう!!.....か?そうか?」
みたいな感じになってます。

もう少しレベルが上がると、教材にストーリー性も出てくるので楽しみです。
そして娘が終えた教材は夫に回ります。

 

 

 

 

 

 

夫婦の記念日とタイタニック

 

映画好きの人の中には、自分自身を重ねたマイ・お気に入りキャラが一つ二つあろうかと思いますが、戸目子の場合のそれはタイタニックのローズであります。

 

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理由は、映画公開当初に周りの人々(2名)に戸目子が出とったよって言われたから。

そんなこと言われたら、なんかちょっと気になるやん? で、その情報もって見に行ったから、15歳戸目子の気分は完全にローズ。
しばらくして少し成長したら、服装以外まったく共通点ないやん、て気づいたけど。

 

 

もしかしてやけど、あの人たちまさかキャシーベイツのこと言うてた?

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(実際似てるのはこっち)(キャシーベイツも大好き)

まあローズは置いといても、
戸目子はケイト・ウィンスレットが大好きです!
俳優としてはもちろん、人/女性として、自然体であることに徹底的にこだわり続ける彼女の姿勢は、若き戸目子をかなりエンパワメントしました。

 

以来、あ〜初心に帰りたい、と思ったときに見るのが『タイタニック』で、大体5年に一度のペースでローズになっています。

今回も唐突に、見たい!夫と!今すぐ!!となって即日アマゾンでレンタル。(娘が同席したことは想定外)

いざ鑑賞となり、もちろん夫にはディカプリオになってもらったんだけど、彼は始終ちゃかして映画のロマンスをぶち壊したくせに、終盤でディカプリオがダイヤ窃盗の濡れ衣きせられたとこだけむっちゃ共鳴してた。

それにしても、実力派俳優二人がこんなチープな台詞ばっか言わされて、本人らも(こんなクソサムい台詞吐いてごめん)て漏らしながら演じてる匂いを所々感じられて良かったです。


ちなみに、ケイトウィンスレットが「この20年間自ら聴いたことは一度もない!(つまり嫌い)」と明言(The Late Showでのインタビューより)してるセリーヌ ディオンの主題歌を、娘が連日叫ぶようになりました。

 

まぁ〜でも、久しぶりに初々しい過去の自分をじっくり鑑賞して、夫に少し優しくなろう♡と心を新たにした次第です。

 

 

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↑夫の大まかな風貌
戸目子にはこれがディカプリオも顔負けに見えてる

 

 

ちなみに、今回最大の発見は、沈みかけの船の中で乗客が逃げ惑う中のワンシーン。
移民と思われる三等船客のファミリー、その父親が、廊下の壁に書かれた英語を辞書で必死に調べています。
このたった3秒足らずのシーンが頭にこびりついて離れませんでした。

何度もみたはずなのに、以前までは目に入っていても頭に入ってなかった。
マイノリティの立場にあっては、(日常の些細なことはもちろん)こういう命に関わる場面で圧倒的不利となることが一瞬でわかるシーンでした。

 

 

 

1月19日は、戸目子夫婦の9年目の記念日でした。
わたしたちは、ボーヴォワール&サルトルに倣って10年契約の関係を(口)約束しています。
でも戸目子はボーヴォワールと違ってチキンなので、2年契約ではなく10年、しかも来年は更新する気満々です。
でも、夫には未だ(色合いは変わりつつ)フレッシュな恋愛感情を持ち続け、毎月(毎週)ティーンカップルのような喧嘩沙汰を起こして消耗する(させる)今のような状態はあんま想像していなかった。
良くも悪くもマジカルな相性なのか、それともやっぱアート(タイタニック)効果?
とか思うと同時に、この関係絶対上手くいかんやろ、と言い合ってきた冗談がだんだん確信に変わりつつもあります。
実際に自分が「安定した関係」が苦手であることについて、(無事に迎えれたら)十年の節目となる来年頃からそろそろ考えていこうと思っています。

 

「戸目子にローズの要素は皆無」と言い張る夫は、かねてより "ベティ・ブルー" のベティと、"ビューティフル・マインド" のジョン・ナッシュを足したのが戸目子と言っている。(割らないみたい)

 

え、フレンチ美女と天才数学者のコンボ?!?

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最強やん?

 

と最初嬉しかった。

でもよくよく聞いたらどっちの映画も後半のやつやってよ。

 

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どっちもエグっとるやん..

 

 

 

 


その日メモ :

Netflix版『新聞記者』全6話 
力作で、事(森友学園問題)の運びとしてはほぼ実話に沿っている。
アベ政権の罪を風化させるもんかという意気込みを感じながら見ました。
(一方の現実では先日出た裁判結果が皮肉でしかない。)

 

唯一、「妻」たちの描き方には相変わらず辟易。

こういう妻が実際に存在したら、そりゃ素晴らしいと思います。実際いるでしょう、どこの世界にも。

でも個人の話は別として、今の時代に全世界をターゲットにした作品で、こういう妻像がスタンダードとして美しく描かれることに、何度も何度もメディアで見せられてきた「良妻賢母以外の個性がほとんど見えない妻」「当たり前にひたすら耐え、当たり前にひたすら夫を支える妻」の再生産に、特に最終話でゲンナーリしたのは戸目子だけだろうか。

そういう "日本人妻" のステレオタイプを、本国があいも変わらず丁寧に丁寧に発信し続けること、実際にその従順さや主張のなさ、献身性(あるいは一部のアニメやポルノ大国ゆえ過剰にsexualizationされた日本女性のイメージ)をアテに "日本人妻" というブランドを求める人も海外にたくさんいて、それをして「日本人女性はモテる」と(主に日本人男性が)言い回り、それをあてに外国人と付き合って傷つく日本人女性たちが多くいる現実があるうちは、こういうメディアの有害性には自覚的であるべきと思います。

 

 

 

 

 

 

スティーブとゆく/日常編

 

家から1分とかからない場所に百均のダイソーがあるのですが、今回やってるシールキャンペーンがなんと、

ハニーテディベア🧸

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一般的にどうかわからんが・・ウチは嬉しい!

 

いやぁ~ いつものごとくジェンダー配分の非対称性かつとってつけられた女性キャサリンのステレオタイプなルックスに不満を抱えつつ、このテディベアに見慣れたら、そこらのテディが全然かわいく見えなくなりました。

しかし娘はどれがいいと言うかしら?!
どれも可愛いけど戸目子はどうしてもダニエルがいいなぁ...♡!
リュックになってるから持ち歩きに便利だし、学校にも背負って行けるし(担任の先生に確認済)、サイズ感も絶妙だし、
よく考えたらダニエルがいいなってなるかもよ?
ダニエルを選んでほしいなぁ ₍₍ (̨̡ ‾᷄⌂‾᷅)̧̢ ₎₎

と、時間をかけて必死に煽りまくったものの、娘のチョイスは一貫して揺らぐことなく。

 

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 SUTI-BU。(名前だけちゃんとカタカナ読み)

 

スティーブかぁ...

いっちゃん無難なやつやなぁ、と思いながらも二人でせっせとシールを集めること約2ヶ月──

 

スティーブとの初対面!

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 店員さんから受け取って感無量の母子を写真に収めながら
「また資本主義の勝利か...」と落胆する夫


物欲まみれの戸目子に対して、娘は買い物とかにさほど興味を示さない子だった。持ち物や服などの好みやこだわりもなくて、何かを買ってほしいとグズったこともほとんどなかったはず。
なのに、一年ほど前からすみっこぐらしグッズや今回のテディベアの件で娘を "消費" の世界に積極的に導きまくってしまった。
娘は環境破壊問題について日々学校で学んでるというのに・・

ちなみにテディベアの由来は、ルーズベルト元大統領が熊のハンティングに行った際、追いつめた熊を撃たず逃したことから、彼のニックネーム "テディ" をつけて作られるようになったぬいぐるみ、と学校で習った娘が教えてくれた。

 

 

 

 

Anyways,

 

それからというものスティーブは我が家の一員となり、
娘によって

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 食事も用意され

 

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 電車も席があれば確保され

 

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 美しい景色を共有し

 

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 スクーターに乗り

 

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 戦い

 

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 古着を試着

 

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 靴も試着

 

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 ワカモレ作りに参加

 

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 夜は読み聞かせ

 

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 ヤギに紹介され

 

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 スリルを味わい

 

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 レストランの香りを味わい

 

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 富士山に沈む夕日を共に堪能

 

(この間、至る場所でたくさんの人に拾ってもらい命拾いしてるスティーブ)

 

 

その後、ダイソーで買い物するたびシールをもらいながら、次はアダムを狙っているらしい娘。

 

!!?

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 アダムとスティーブ!!

 

──英語圏のブラックジョークに、
男同士でべたべた仲良くしている人に
「Hey, アダムとイーブだよ、アダムとスティーブじゃないよ」て言うツッコミがあるが、、

まさかのネーミングじゃん。

 

アダム可愛いけどさ。
名前は変えてもいいよね。娘は女の子って言ってるし。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

子供の隣に並んで見える風景


6歳になってから、コミュニケーションがだいぶ上手くとれるようになってきた娘と、日々の会話をチョーーー楽しんでいる戸目子。

待ってたんです、この時を。

彼女は発語が遅めで、2歳になっても3歳になっても喋ったり喋ろうとする気配はあまりなく、よく自分の世界に没頭していました。
そんな頃に日本の幼稚園に通いはじめたけど、年少さんのときは全く周りを見てなかったからか、年中さんのある日突然、「まわりにいーっぱい人がいる...!!」と伝えてきた我が子。
それからは好きな友達もチラホラできて、限られた日本語を駆使して精一杯遊ぶ姿も見られてホッとしていた頃、コロナがやってきて半年間の自粛生活に。

ステイホーム期間中ほとんど気にかけてなかったんだけど、この半年間は子供たちにとってかなりデカかった。
というのも、感染状況が一段落して久しぶりに覗きに行った年長さんでは、クラスの子供たちの言語能力がビックリするほど伸びていて、逆に娘の日本語はすっかり抜け落ちてしまっていました。
たぶん、娘にとってもこの衝撃は大きかったんだろうと思います。
もともと超敏感な娘は、そこから一気にすみっコぐらしのねこみたいなシャイな性格に変わっていきました。
(その一年後の今、すみっこ大ファン!)
園では前ほど友達と喋らなくなり、先生や周りの言ってることがよくわからないという状況の中で、自信が少しずつ落ちていったように思います。
以前から状況判断や情報処理能力、相手や場を読み取るスピードもゆっくりしているので、大人数でなにかをやる場面ではよくフリーズしているようでした。
また、白か黒か!みたいな世界を生きていて、その中間が許せないので癇癪もかなり激しい。冗談が通じにくいので、普段冗談でしか会話していないような私たち夫婦もかなり気をつけています。

 

戸目子は最近になって、何か子供の問題を前にするとたまに昭和脳が顔を出し、「怖がりの子はちょいとビビらせよ、冗談の通じん子には冗談に慣らせよ、根性なしには試練を!無礼には罰を!目には目を!歯には歯を!!」とうっかり勢いづきそうになるんだけど、その有害性の自覚はあるので気をつけてます。
一方、夫は子供に「罰」を与えることの一切を良しとしないので、娘を押しもせず引きもせず、徹底した「受容+支え+励まし」で関わる。だから、娘が母に癇癪を起こした時などは戸目子の(狭い)許容範囲を出そうになる前に助け舟を出します。
マジで、夫の存在なしでは戸目子は日常のあらゆるシーンで正気を保っていられなかったろうと確信してます。
と同時に、戸目子の親世代から今もまだ一部で続く母親のワンオペ育児の過酷さを思います。
子供として、かつて自分の母親の未熟さを色々と責めてはきたものの、人間どんな立派な人であっても状況次第ではあっけなく崩れてしまう脆いものなのだと、とことん実感するところ。

 

今年4月からインターの学校に通い始めた娘。
本人はとても楽しく通っているけど、相変わらず子供同士のコミュニケーションには消極的で、半年たった最近、たまにバイバイなどの挨拶ができるようになったところ。
また、先生や子供たちが突発的に娘の身体に触れたりするとひどくビックリする仕草があると先生から報告を受けたりもしました。

家ではおしゃべりな娘は、ここ最近細かな心情を少し伝えられるようになってきました。
いつもと違うことが起きたり、大人数がわけわからんことをしてる場面で内心パニックになってしまうと教えてくれた。
パニックになってたんやね😢
伝えてきたらきたで、その痛みがわかってヒジョーに悲しい。
あと、同じ動作をずっと繰り返す遊びが安心するみたいで、一人や親とならいいけど、それに付き合ってくれる子供は限られるから、たまにそういう子が出現すると親的にやたらとありがたく感じたり・・
これまでの数年間、周りの子供たちはみんな娘にとても優しくてそれがホントありがたく。でもこれから学年が上がるにつれてもっと複雑になっていくだろう未来を案じたり・・これはみんなそうかもやけど。
てかいつのまに戸目子はこの "ありがてぇスタンス" で周りの子供たちと接するようになったんだ?と思ったり。
そしていつも娘につきあってあちこち赴いてるはずの自分が娘より100倍楽しむ結果になるし・・

親目線だけで見ていると悩みは尽きないけど、娘の目線で見てみたら事態は驚くほどシンプルだったり、むちゃくちゃゆっくりだけどちゃんとこの世の中に自分の立ち位置を探そうとしている。
戸目子はできるだけその旅の邪魔にならんよう見守るのみ。

何よりとにかく娘は夫譲りの"good-hearted"な性格。賢く、面白く、ベターになりたいという向上心もあり、6歳の今は日々目まぐるしく成長しているので、そこまで深刻に心配はしていません。
ただ、毎日を少しでも不安や恐怖に萎縮せず過ごせるようになったらいいなと、様子を見ながら色々と計画を練ってる戸目子です。

 

 

戸目子自身の一番最初の記憶は一歳の誕生日あたり。人差し指を立てて一歳を主張していた頃の「断片的な空間」が思い出されます。
その頃、言葉で考えてはいないんだけど、「疲れたな...」と感じていたことが感覚として蘇るのです。(一歳のときから怠惰)

言葉を習得すると、特に大人と意思疎通ができて、表現の幅が広がりアンテナも伸ばせるから便利だし、子供の心も安定するだろうなと思います。
でも、言葉を持たずに世界を捉える時期というのは限られているので、その時期が長い子供はその子なりに面白い世界を生きているんだろうなと思います。

 

 

戸目子自身も、色々と問題を抱えた子供だった。当時は脳の個性や発達障害などがまだ広く知られてなく、(一部を除いて)人権の認識なんか無いも同然だった中、問題のある子供はひとまとめに「出来ない子」「出来の悪い子」とスルーされがち、かと思えば極端に精神異常の烙印を押されたりした。
教育の場において最適化された (と大人が信じている)枠に収まらない子は、その責任(原因)は全面的に子供側にあると短絡的に捉えられがちだったように思う。どう考えてもむちゃくちゃ。

小1のとき、場面緘黙症のノンちゃんという女の子がいて、家で家族とは自由に話せるけど学校では全く話せなくなる子で、その症状は重かった。
ノンちゃんが学校を休んだある日、担任の先生がおもむろに、黒板に大きなハートをふたつ描いて「左のハートが、みんなの心」と言ったあと、右のハートにヒビみたいな欠けを入れて「こっちがノンちゃんの心。ちょっと壊れてるんだけど、みんな優しくするように」みたいなことを言った。さすがに小1の戸目子も「?」と感じたのを覚えている。

正常とそれ以外、できる子とできない子、と子供たちを大雑把に分断して扱う大人たちの何気ない暴力が、多くの子供たちを傷つけていたなと、こういったシーンを思い出すたびに心が痛む。
とはいうものの、当時6歳だった戸目子は自分の問題に苦しんでいたから、同じように問題を抱えた弱い子供が嫌いだった。ノンちゃんを見ていると自分の弱さを突きつけられるみたいで。

今はもっと一人ひとりのケアが手厚くなったと思いきや、多くの教育現場では時は停滞している模様。
今年の夏に公立小学校を2クラス見学したときも、明らかにサポートを必要としている子ほど先生らから最も雑な扱いを受けていて、かといえば、のびのびと表現豊かな子たちは何かと萎縮するような扱いを受けているのを目の当たりにして、一体学校はなにをしてるんだろうと思った。

最近、理想論をことさら嫌う風潮があるけど、理想論すら述べられないような社会にどんな希望があるというのだろう。

 

 

 

 

 

 

その日メモ :

今年もやってきたハロウィン🎃
金土日と3日連続のイベントに娘もちょっとウキウキ。

2年前からハロウィン=バットマンが定着してる娘に、ディズニープリンセスとかもいっぱいいるかもよ?と振ってみたら、
「えディズニープリンセス⁉️ Saviour (救い役) にはならないからね‼️」と頼まれてない役をむっちゃ断っていた。

 

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ポーズとるとき以外は超慎重なバットマン

 

 

 

 

 

 

 

 

知との遭遇 ③【宗教とBくん】

 

前回、「続きは次回に」とか宣言したおかげで、「すきにさしてや」と (自分に) 反抗してたら2ヶ月弱経ちました。
やることが決まった状態だと途端にやる気が下がるのはどうしてか。相変わらず毎日のランダムさを「豊かさ」だと勘違いして生活しています。

 

前回のエントリは、なかなか趣旨があっちこっち行っててまとまりがなかったな、と反省したが、今回もそうなります。

当時Bくんとはかなりの量の会話を重ねたものの、特に思い出す内容といえば、オスマン帝国を熱く語る彼に「男男した名前よね」とつっこんでたことくらいだし、あれほど嬉々として繰り広げた会話の内容や得た知識は一体どこへいったのかしら。

でも、知識そのものより大事なのは「体系的に思考できる」ようになることであって、それなしには知識は単なる情報に過ぎないし。

一方、単なる情報としての知識も必要だと思うのは、先の人生の中で(あっあの時知った○○はコレのことだったのか~!)という気づき、
─それまで "他人事" でしかなかった知識が再認識されて、自分の作品のように "新しい現実" として形作られるプロセスが、誰にとってもワクワクするものだろうと思うからです。
まずは他人事の知識でいい、戸目子も子供時代にその愉しみを経験できていたらなあ!と何度思ったか知れません。
自分の思考体系にやっと少しずつ応用が効き始めたのは、Bくんとの会話が大きく影響したと思っています。
ものすごいパッションを真摯に伝える人たちには、いつもインスパイアされてきました。(※盲目さとは別)

 

それにしても、戸目子は80年代生まれだけど、10-20代前半に、今ほどネットに触れて過ごすことができなかったのは、とても残念に思います。
(むろんネットの有害性の部分では、GAFA始めメディアを作る側が、倫理的な準備が全く整わないうちに見切り発車した責任を取るべきだし、今のアメイジングな子供たちが大きくなる頃には絶対に解決していてほしい、と切実に望む。)
と同時に、かつては、リアルで会う人・付き合う友人関係が自分に及ぼす影響が、今と比べて何倍も大きかったと思えてなりません。戸目子のおばあちゃん世代なんて、隣のイチ家庭が全日本を代表する勢いだったし。
情報が流れない世界(時代)の、人々の生存戦略ね。今でも変わってない部分はあるけど。

そんな当時にポツポツとあった素敵な出会いと経験は、こうして改めて文章にしていると、とてもありがたく思い起こされます。

 

 

宗教

東欧の国々を渡り歩いていると、とても敬虔なクリスチャンが多いという印象をもった。

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2008年夏ワルシャワにて/友人撮影
膝をついて祈りを捧げる人が見える

 

社会を形成し、そして限られた情報の中でうまく生き残ってきた人間にとって、宗教が人類発展にもたらした功績はすさまじい。

宗教こそは、他の何よりも
①「身内」の絆を盤石にし(「身内」以外を虐殺し)、
②個人に安心と安定を与え(不自然な規律で抑圧し)、
③絶対的なものを信じる快感を与え(思考放棄)、
④効率的な家族至上主義等の徹底(人権侵害)、
⑤ときには思い込みというウィルパワーで心身の不調まで回復させる(スピ効果)という絶大なバックボーンとして大活躍してきた。
哲学がそこに "待った" をかけ始めるまで、宗教は行き着くところまで行ってしまった。
(以上、戸目子の偏見による要約)(仏教は別、とか言わないでね)

 

といっても、個々人の視点からみると、信仰心に人生を捧げんばかりの人たちには「この人は信仰心に "生かされている" んだな」と妙に納得するし、宗教コミュニティという内輪の中だけで全人生を完結させる人々も、それはそれで楽しそうだ。
人は選択肢が少ない方が幸福を感じやすいという皮肉な構造を、どの宗教もうまく利用してきたと思う。

一方で、その古風な慣習とどうしても相容れない現代を生きる戸目子周りの若者たちの葛藤は、側から見ていても大変そうだった。その中の多くは、最後には教えに背く決断をしていた。

国が裕福になるほど、その豊かさに比例して無宗教者の数は増えている。 でも、宗教の "連帯" が人にもたらす快感に勝るようなものってあるんだろうか?
なんたって、全くキリスト教なんか興味ない上に罪犯しすぎの億万長者(自称クリスチャン)でも、彼が(得票のために)人口中絶に反対してるからってだけで大統領にと投票するような人が大勢いるのだ。
正義も思想もなく「トランプ支持者」を表明するがためにマスク着用を拒否する人たちが。
宗教とトランプとマチズモと反ワクチン等は親和性が高いが、どれにも共通するのは、「ひとつの信念(や利益) のためなら、その他多くの悪業やデメリットを丸々見て見ぬふり/免責しちゃう徹底した姿勢」だ。
これは宗教に限らずだけど、莫大なカネと権力を持つからこそできることがたくさんあるにも関わらず、肝心なところでスッタカ責任逃れをする点については、特にこれからは時代が許さなくなるのではと思う。
(ふと、ひろゆきやホリエモンあたりがよぎったが、日本はしばらく許すんだろう。許すどころか重宝がってるし)

 

話は変わって、2006年頃、ピアニストのネルソン・フレーレの講義を見に行った。その演奏や語りの美しさにシビレたが、最後にあらたまって彼が、
「音楽家は、一体誰のために演奏すべきなのか?
 聴衆のため? 自分のため? 
 ──ちがう、  ゴッドのためだ....!」とドヤ顔したとき、戸目子は一瞬で引いた。
その後の質疑応答で(あの~、無宗教の音楽家は誰のために演奏すればいんですかぁ~?)と聞こうかと一瞬考えたけど、なんとなく控えた。
「自分で見つけるしかない」と答えるんやろなと予測したからだけど、、一応質問しとけばよかった!!と今悔やまれます。

彼のような信心深い芸術家が、そもそも宗教と全く無縁に生まれたとして、それでも芸術をやった場合、今と同じくらい美しく奏でただろうか?同じように音楽を愛せたんだろうか?
とはたまに考える。

戸目子も、ヨーロッパの夜の街なんかを徘徊していると、たまにその幻想的な空気から異世界な感覚に襲われて、神はいらした!とか叫んだことあるし、人間が神に捧げるために造り出した芸術作品の数々には何度も圧倒されてきた。

まあそれでも、世界宗教を漠然としか捉えてなかった戸目子は、相手が熱心に神や信仰心を語れば語るほど「カルトやな」としか思わなかったけど。
(今でも、既存宗教もカルトも、信者側の信仰スタンスにそう違いはないと思っている。教団側は別として。)

 

そして、ほとんどの信者は、既に "出来上がった" コミュニティの中で産声をあげて育つわけで、そこには自分の意思や選択みたいなものはあって無いようなもの。
また、無宗教者であっても、宗教と深く関わってきた歴史をもつ人間だから、育ちの中でなんらかの宗教性をまとっているものだ。
組織としての宗教が苦手な戸目子でも、信者個人やその生き様をリスペクトするし、その姿勢はお互いにとても大事だと考えます。

──いくつかの例を除いて...!

 

かつて頻繁に会って遊んでいた友人は、徹底したカトリック教徒らしいジェントルマンシップで戸目子と接してくれて、それはそれはマジ新鮮だった。
戸目子は、戸目子である前に「女性」なんだなぁと、あの時ほど強烈に意識したことはない。恋人でもないのに。
でも、宗教が纏う美しいヴェールの向こう側がふと見える瞬間が増えていった。

彼と最後に会った日のことは、今思い出しても地獄味ハンパない。
いつになく宗教の話を掘り下げていった中でセクシャリティの話が絡んだ時、あのいつも優しくて強くて楽しかった友人が別人みたいになって、同性愛は神に背く「病気」であり社会にとって「有害」であると言い始め、しまいには同性愛者を全員一纏めにして遠くの離島かどっかに隔離すべきだ、「正常な人たちに悪影響だから」と大真面目に主張していた。
彼は日頃から、(医者家系で子沢山の)自分のファミリーに誇りを持っていたので、そのYouの強烈な思想について家族のメンバーはどう思ってるのかと聞いたら、家族とはなんでも話し合うし、もちろん同性愛についても徹底的に議論すると言った。(でその結論が隔離なんかぃ)
このとき戸目子は、明らかに議論は無駄なのでほとんど意見はせず、一貫して質問に徹した。
でももちろん、その質問攻めは彼に威嚇と映っただろう。 あまりに必死な彼の様子に「えもしかして隠れゲイ?」て思ったほどだ。
そして、「あなたの (むっちゃ多い)きょうだいの中で、もし誰かが自分のセクシャリティに苦しんでいたらどうする?」と聞いたあたりから、うちらは永遠のエネミーズとなった。(不快感この上なかったのでそれから一切関わりないけど、今となっては彼のその後にものすごい興味あるから、ちょっと惜しいことしたと思ってる)(ちなみに「きょうだいにもしゲイがいたら、それは病気だから治るまで家族付き添いでセラピー通院させる」と言ってた。うざすぎやろ家族)

また、ヨーロッパに住む日本人で、成人してからキリスト教徒になったという人たちが周りにチラホラいて、その人たちを見ながら、キリスト教にはなんとなくファッション性があるのだなとも思っていた。
クリスチャンを名乗るけど、個人的な "救われ" 論(思い込み論)(それクリスチャンじゃなくてもいい論)だったり、キリスト教そのものに関してはかなり無知だったり。
でも宗教には、そういうアイデンティティが不安定な人々に帰属意識を持たせることで、何者かになれたような、何らかの指標や個性を与える役割もあるんだなと、興味深く思った。

 

こうした話はセンシティブな要素も含むため、今はまだしも、当時ガチで話せる相手があまりいなかった。そんな中、Bくんはとても柔軟な聞き手/話し相手になってくれた。
戸目子は、「ヤバイな」「最悪だね」「なんでそうなるんだろうね」以上の、思考を既に何周も巡らせた相手による共感を、最も必要としていたから。
(基本いつも必要としていますが。)

ただ15年も前の話。歴史にしろ宗教にしろ、Bくんも戸目子も「どっちもどっち論」に落ち着いてしまう傾向があったけれど。今ならまた違った方向性の議論になるのかな、とたまに想像する。

あと、彼とはよく(実力主義における文脈で)「環境か遺伝か」の話で盛り上がったけど、当時の戸目子は威勢の良い無知な若者らしく "遺伝決定論寄り" だったのが、この15年の間にきれいに逆転した。
まだ、今ほど環境要因による宿命が世の中で問われてなかった中で、「人やその才能は環境がつくる部分が大半だと思う」と主張していたBくんの思索プロセスをもっと詳しく聞いとくんやった、と思ったり。

 

その後戸目子のパリ行きが決まってきたころ、Bくんとの関係は唐突に終わった。
この貴重でスペシャルな男友達(日本人の!)だったBくんは、最終的に恋愛感情を絡ませて友人関係を台無しにした。というより、それに逆ギレ対応して関係を台無しにしたのは戸目子かもだけど。こういうの、どちらの側も教育で防げ得るものだと思う。今でこそ重要視されている「同意」問題とか、小さい頃から教えてほしかった。同意する・しない意思を、誰も不必要に傷つかずに伝え合える世界なら本当に楽。戸目子は今でも苦手。

当時、(ついぞネット上に載せることなく)書いていた日記ブログの存在を気にかけてくれていたBくん。
もしいつかこれを読んでくれることがあったら、また違うかたちで戸目子の想いが伝わるだろうか。

 

 

 



 

その日メモ :

夏休みの終わりにメモってたやつ↓

 

昨夜、海賊船を作りたい!と突然言い出した娘と、それで俄然モチベ上がった夫が、二人でググって見つけたらしいこちらの作品👇

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一目惚れしたもよう。
小一時間で作れるって書いてるし⤴️とウキウキ段ボールなどを用意する二人。

 


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スクロール。
これ見ながらだいたいの形に切っていく。
(娘だんだん遠のく)

 


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組み立てたらこのようになる予定。
けっこう大がかりな作業に頑張って取り組む夫。(もう娘不在)

 

 

 


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「できたよ!!」(娘戻る)

 

 

 


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なんやそのサイズ感!!(父の叫び)
最後の完成写真見てなかったせいで、2時間かかってた。

 

 

 

 

 

 

知との遭遇 ②【政治とBくん】

 

22歳の秋、東欧の地で出会った日本人のBくんは、戸目子と同じ時期にその国で暮らし始め、現地で音楽学の博士を目指す、まじめな印象の青年だった。
彼は、戸目子の偏屈偏狭な世界観に柔らかなアプローチをかけてくれた人で、現在の自分も尚その延長線上にいるのだなと定期的に実感しています。
(国名を記載するとけっこう簡単に身バレするほど日本人が少ないので、東欧と表記)

 

先日、この記事↓を読んで色々と思うことがあった。

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※記事内より / 一番上の黄色枠が日本人

 

戸目子がいた海外の国々では、若者含め周りの多くの人が政治や宗教の話を活発にしていた。
(て書いたあと今速報ニュース読んでたら、懐かしのトランプのお言葉『米女子サッカー代表が五輪で金メダル取れなかったのは、左翼マニアな選手の社会意識が高すぎたせい』やと😂 まだそうとう恨んでるね。)

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大統領時代のトランプをメッタメタに批判してきた
女子サッカーチーム主将ミーガン・ラピノ選手

 

若者が政治に強い関心を寄せるようになったのは、世界的にみても比較的新しい風潮ではあった。
そこでは、政治が、じいさんのじいさんによるじいさんのためのものでないことだけは確かだった。

生活の中でふつうに遭遇するストやデモもだけど、忘れられないのは、東欧の街でヒャラヒャラ遊んでたある夜。
突然目の前で車とゴミ箱が燃えはじめたと思ったらバーンバーンと鳴り響く爆音とともに大規模なデモが始まってヒーヒー言いながら逃げ回ったことがあった。(それまで耳にしたことない、男たちのリアル叫び声の恐怖ったら!ないよ)

ストはまじ勘弁だったし大規模デモは危険だし、是非は置いといて、だから上の記事にある調査結果は体感としてものすごく納得できるものだった。
「日本人は平和ボケしてるから」「礼儀正しいから」ではない。
民主国として機能してないからだと思う。


政治と歴史

2006年、いつものレストランで肉を美味しくほおばる戸目子の前で、デンマーク人男性と日系アメリカ人女性が大激論を展開させた。

それは、"The Rape of Nanking" という、旧日本軍によるあの悪名高き「南京大虐殺」を書いた本の著者である、中国系アメリカ人のアイリス・チャンが、2004年に自殺した話から始まった。
この本は出版後全米で大ベストセラーになり、それを機に日本批判が湧き出たのか(知らないが)、そのデンマークの男性もすっかり中国側擁護モードになっており、日本は謝罪すべきだと繰り返し言っていた。
対する日系アメリカ人女性は、アイリス・チャンは中国政府に利用された作家で、この本は偽造捏造だらけのプロパガンダ本であり、それがチャンの自殺にも関係していると主張した。

まず、日本の歴史などほとんど知らない世界の人たちが、こういった強烈なベストセラー本にガチ影響されるという現実がもう、絶望感ハンパない。
(「アメリカが日本に原爆落としたのは、大戦を終結させるためだったんでしょ?」と聞かれたことも一度や二度ではない。)
そして、(ドイツ以外)世界の国々が、一体どれだけ過去の加害行為を包み隠さず自国民に教育しているのか。とりあえず戸目子自身の無知さだけをみても、日本が犯してきた侵略・虐殺・占領支配の過去を、"罪" としてストレートに教育された記憶がない/教育現場で当たり前に議論されてこなかったという現実にも失望する。
タイプ別縄文土器とかヒトラーよりソレ先に知らせてよ、と思った。

そして、この世には確実に不毛な議論というのがあるんだな、と痛感した。
この二人には、生産的な議論の際に必要な「お互いが共有できる事実」すら見出せなかったので、議論はやがて口論となり、最後はその女性がバンっと机を叩いて立ち上がり去っていった。

 

ところで、ある国が過去/現在何をしたかしなかったかの問題で必ずゴキのように現れては、関係のない個人(その国民など)を糾弾するという行為は差別であると、今はわかる。
その男性は、彼女を個人的に糾弾したわけではないけど、もし(細かな真偽の程は別として)説明を尽くした女性側が日系でなかったら、彼は同じように一貫して日本を非難しただろうか?日本に全くルーツのない第三者的立場の人が相手であれば、もう少し冷静に話を聞いたのではと思えてならない。

どの差別問題にもある『当事者が、当事者であるがゆえに声を上げることの難しさ』よ。
で、それゆえの、当事者以外の人たちが何も言わずに傍観することのむごさ。
戸目子は当事者でもあったのに、無知ゆえに、何の役にも立てなかったことを今でも恥じています。。

 

余談だが、日本に「日本スゴイ」合唱の右翼組がやけに目立ってきた'00年代というのは、こういう流れも影響したのかな?
帰国するたびに目や耳に飛び込んできた「素晴らしき日本」宣伝、とくに「外国人がこんなに憧れる日本」みたいな定番のやつ、リアル外国人との乖離が激しすぎて痛かった。
日本オタクたちの愛は別格として、良くてオリエンタリズムにまみれた興味関心レベルなのに。
まあ、それで(が)良いのかも知れないけど。

 

Bくんとは、週一くらいのペースでご飯を食べに行く仲でした。
ほぼ毎回、中華レストランで戸目子はチャーハンを注文し、酢瓶が空になるまでどぼどぼかけながら食べていた。
ときには場所を変えながら、いつも真夜中まで何時間も話した。

最初の頃は、音楽とか犯罪とか日本文化とか軽めの話をよくしていたが、ある日ふと、戸目子がこの口論立ち会い事件のことをさりげなく話したのをきっかけに、会って話す内容が政治・歴史・宗教に特化されていった。
そういえば、海外からも日本の選挙投票ができるからするように教えてくれたのも彼だ。
今は渡航前に日本国内で手続きができるようになったらしいけど。

Bくんは、こと政治や歴史に関して博識だったから、そしてその語り口や会話のやりとりが面白かったので、いつもものすごーく楽しかった。
その興奮は、戸目子にとって、新しい知との出会いでした。

 

 

(長くなったので、次回に続く)

 

 

 

 

メモ :

7月始め、ワクチンの接種券に記載してあったコールセンターに、予約開始日から毎日電話をかけ続けたが、「混み合っています」と一度も繋がらない上に、いつしか「予約終了しました」のアナウンスに切り替えられた。

早速ワクチン不足が囁かれはじめていたし、成功率100%でないと知るや すぐにやる気を失う癖のある戸目子に、がんばれ!ドントギブアップ!!と、(不幸にも戸目子に頼るしかない) 夫に隣で発破をかけられながら個人病院に電話し続けて15件目くらい、予約取れた!!!

 

ありがたやぁぁ~🙏
(てか最初から直接個人病院にかければ良かったの?)

ひとまず一回目を打って2週間が経った。
もうすぐ2回目。

その後も感染はするし人に移す危険もあるので、まだまだ気は抜けないけど....

一年半の自粛生活がやっと少し報われる!!