戸目子のブログ

大人になった娘が読むことを想定して書く、日常や過去の覚書き

存在の耐えられない敏感さ

 

最近よく見聞きするようになってきたHSC/HSP。

Highly Sensitive Child/Person (非常に敏感な子供/人) を略したもので、約5人に1人とされ、"気質" のひとつと言われています。

 

これを知って以来、娘のことについて、これまで蓄積されてきた疑問がパァっと解けた気がしました。
と同時に、発達障害や精神疾患とは違い、医師の診断のつくものではないので、これから至る場所で誤解や誤用がされまくるんだろうなとも思っています。

 

 

とりあえず内容を詳しく知ろうと思い、数ヶ月前、HSC関連で一番読まれているという『ひといちばい敏感な子』(エレイン・N・アーロン著) を読み始めたはいいのですが ──

 

ひといちばい敏感な子

ひといちばい敏感な子

 

 

 

読み進めるうちに違和感が。

 

この著者こそはHSC/Pという概念の生みの親であり、臨床心理学の博士号を持ち、文面からもかなりの専門性を有していることがわかります。

ただ、自身の子供もHSCであるとし、また「HSC/Pの読者」を意識するあまりか、全体的にHSC寄りの論述が目立ちます。更には《HSC × 非HSC》という対立構造を匂わすような箇所も出てくるように。

 

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そもそも《HSP=慎重/敏感な人》としても、
《慎重/敏感な人=HSP》とは限らんやろし
何より人間は《敏感な人か/鈍感な人か》ではなく、その中間層が多くを占めるスペクトラムの中の存在であるはず

 

 

そして一番ひっかかったのが、著者の個人的な経験・考察・推測の中で、本来証明の難しい事柄であるはずのものを、学者とは思えないレベルで単純化/一般化している文章が散見されるところ。
つまり、読者を安心させたい一心で極端なロジックを無理やり持ち出してくるのですが、著者本人もさすがに自覚はあるようで、さりげない釈明がチラホラと(注意して読まなければ気がつかない程度に)書かれてあったりします。翻訳の問題も多少あるかもしれないけど。

 

うんもういいよ、、そんな、気休めや励ましを求めて読んでるわけじゃないから...

とだんだんと読む気が萎えていった戸目子。
完読していないので断言できないけど、まあ要は、HSCといってもそれぞれの子供がいかに多様であり(当たり前)、大変さもある(当たり前)けど素晴らしい(当たり前)のだということが言いたかったのかなと。

 

 

ひとまず、HSC/Pの基本的な特徴はこんなかんじ👇
(エコファミリーWEBより) 

 

①刺激に対して敏感

②刺激を受けやすく、疲れやすい

③慎重に行動する

④共感する能力が高い

⑤人との境界線が薄いことが多い

⑥鋭い感性や深みのある考えを持つ

⑦内面の世界に意識が向いていて、豊かなイマジネーションを持つ

⑧人との深いつながりや主体的に生きることを好む

⑨自己肯定感が育ちにくい

⑩自分の気質に合わないことに対して、ストレス反応が表れやすい

 

本書に付いているHSC/HSPチェックシートは更に細分化されているけど、該当するチェック数が多いほどHSCとなるわけではない、
一つだけが深く当てはまる子もいれば、多数に該当する子もいるという。

つまり人間ほぼ全員やん!

って思いましたね。チェックシート眺めてて。

 

でもまあ、子どもを見ていると「あ、これはちょっとレベルが尋常ではないな」というのは解ります。

娘の場合は、極度の怖がり、極端なこだわりや偏食など。
あとはどこで線引きをするかの問題になるんだと思います。

 

 

娘に関して、最初にあれ?と思ったのは、つたい歩きを始めた8ヶ月のとき。
キッチンのホットヒーターに小指の先が触れて少し火傷した。その時はびっくりして泣いたのだけど、それ以来キッチンの部屋そのものに一切寄り付かなくなった。
以後も、こういう少しでも怖い思いをした記憶がとても強く残るように見えた。

また、ちゃんとご飯を食べ始めたのは2歳になってから。最初の2年間は離乳食をあまり受け付けず、おっぱい命の子でした。
6歳の今では食べられる品目も増えてはきたけど、まだ口にしたことない食べ物は怖い怖いと言って受け付けません。

よちよち歩き始めてからも極度に慎重だったから、転けたりぶつかったりすることが稀だった。
でも2、3歳になっても、5センチほどしかない浅〜い階段も、避けるか必ずお尻をつきながら降りてました。

「石橋を叩いて叩いて、渡らない子」と祖母が戸目子の兄に関してよく言ってましたが、極度に慎重なのは遺伝もあるかもしれない。そういう子は事故も少ないし勝手に気をつけてくれるから、親としてはかなり楽なのですが。

 


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2歳1ヶ月の娘 
こういう質感の変わる床の境目を越えるのも怖がった 
この時は動画を撮りながら5分ほど様子を見ていたが、最後まで自力でこちら側に来れなかった

 

 

また、娘は15ヶ月から突如始まった癇癪がものすごいレベルで、よくギャン泣きしながら地べたを這いずり回っていました。それが、東京中の地面を掃除して回るつもりか?てくらい手の付けられない爆発ぶりでした。
幼稚園も年少時はとにかく難しい子で有名だったことを思うと、今は天使のよう。
癇癪は収まってはきたけど、まだ一度火のついた怒りのコントロールにはかなり苦戦しています。
戸目子自身もそうだったので理解できるけど、かなりしぶとい。腹の底から全身全霊で叫び散らす轟音の中、張り手ビンタが戸目子の顔に飛んできて星が出ることもある。いつでもどこでも辛抱強くつきあう夫がひたすら神々しい。
そして、時間をおいて落ち着いてから必ず淡々と謝って気持ちを伝えてくる娘はとても愛らしく秒でほだされるんだけど、ン? これって世に言うDV男の典型パターン?と騙された気分にもなる。ワラ

 

 

いうても3歳くらいまでは「かなり慎重な子でぇ」と言ってたらよかった戸目子も、4歳5歳と大きくなるにつれて、ほんの小さなことが深いトラウマになってしまう娘をみて可哀想に思ったり、はたまた「もう、こんなん早よ慣れたらいいのに」と急かすような気持ちになったりすることが多くなりました。
周りの子との反応や成長の違いが顕著になる中、当たり前にできることができない娘を見て、精神的に「弱い」な といったマイナスな見方をしている時がある自分に気づいて調べ始めたのが、HSCを知るに至った経緯です。

 

なかなか解決しない問題も「事情がある」ことを「知る」だけで、保育側の心の在り方・子どもへの対処法がかなり違ってきます。
娘は娘でしかなく、彼女がのびのびと自由にしていられることが一番大事なので、この知識は戸目子にとって大きな支えになりました。

 

 

 

余談ですが、先日公園でママ友とこのHSCの話をしたら、なんとそのママも自身がHSPだという話になり、その生きにくさの話をしていたら、突然見知らぬママが「HSP!わたしもです!!」と声をかけてきました。

その方は「昔から人の考えてることが読めて読めて、読めすぎて辛いんです」と言っていて(とりあえず戸目子の今考えてることは読めてないな?)とか思いながら聞いてました。

こんな感じで、けっこう認知度高いです。

 

 

 

 

 

 

その日メモ :

幼稚園では日本語、家では英語の環境で過ごしている娘。こういうバイリンガルの家庭では子供の言語状態もそれぞれだろうけど、もともと言葉に長けてる方ではないうちの娘の場合、長いコロナ生活もあって今では英語の方が大分流暢に。

日本語を喋る娘は世の2、3歳くらいの拙さで、かつ幼稚園の先生方の丁寧な喋り方なども混じってかなりカワイイのです。

 

先日、家で子供とホットケーキを作るという慣れないことをしていた戸目子は、早速生地の入ったボウルを床に激しく落とし、あーーやっちゃったぁぁ〜〜とか言ってたら、

「ボ、ボクは、やっちゃてないよね、?ボクはやっちゃてないだよねえ!」(なぜかボク呼び)
と懸命に伝える娘が愛らしくて大きな心で応えていたら、今度は英語で「マミー、大丈夫だよ。誰にでも間違いはあるし、気にしない方がいいよ。」と、同じ口から出ているとは思えない言語レベルの差である。態度まで違う。

 

 

将来的には、娘には戸目子と同じ伊予弁で喋ってもらおうと思とる。第二言語として。